佐太神社
三笠山を背に、ちょっと背が高い正中殿を中心に3つの社殿が横並ぶ姿が清々しい。
本殿裏に「母儀人基社」と書かれた札が立ち、山に登る階段がある。諸事情によりそちらには足を延ばせず残念だったのだけど、“古代祭祀の対象であり、社殿創建以前の御神座ではないか”と言われている場所で、興味深い。次の機会には是非…(2013.10撮影)
→“徒然”
「当社は出雲国風土記に、佐太大神社或は佐太御子社とあり、三笠山を背に広壮な大社造の本殿が相並んで御鎮座になっているので佐太三社とも称され、延喜式には佐陀大社と記され、出雲二宮と仰がれて来た御社である。
主祭神佐太大神(猿田毘古大神)は、日本海に面する加賀の潜戸に御誕生になり、出雲四大神の一柱として信仰されてきた。
御本殿は三殿並立で、中央が正中殿、向って右が北殿、左が南殿、いずれも大社造りで、この様な豪壮な三殿構えは平安時代末期に成立したようであり、他に類例を見ないもので、神社建築史の上で特筆すべきものである。現在の御社殿は文化四年の造営であるが、その様式は古く元亀年間の造営を踏襲してきたもののようである。国の重要有形文化財に指定されている。」
摂末社:
田中神社(本社北殿の摂社で、西社は木花開耶姫命を祀り、縁結・安産。東社は磐長姫命を祀り、縁切・長寿の信仰がある。)
北末社(山王社、宇智社、玉御前社、竹生島社)
南末社(戸立社、振鉾社、垂水社、天神社、岡見八幡宮、橘稲荷社、客社、宇多紀社)
《神在祭》
十月を一般には神無月というが、出雲国だけは神在月と云っている。社伝によると、正中殿の御祭神 伊弉冉尊の神去りました旧暦十月に八百万の神々が当社に参集されるので、幟も立てず、神楽もあげぬ厳粛な物忌みを行うところからお忌祭とも云う。この祭には神迎神事(かみむかえしんじ)、連注口神事(しめくちしんじ)、神去出神事(からさでしんじ)、船出神事(ふなでしんじ)、止神送神事(しめがみおくりしんじ)、柴刺神事(しばさししんじ)、宿借神事(やどかりしんじ)等があるので、古来当社を「神在の社」とも云っている。
《佐陀神能》
御座替祭(ござがえさい)・例祭に執行する神事芸能で、その起りは極めて古いものとされ、出雲流神楽の源流と言われている。剣舞・散供・清目・御座・勧請・手草・八乙女の七座よりなる採物舞と、祝言としての式三番、そして大社(佐陀)・真切女・日本武・恵比須・八幡・武甕槌・磐戸・三韓・荒神・住吉・厳島の十二座よりなる神事舞からなっている。国の重要無形民族文化財に指定されている。
《文化財》
彩絵桧扇、龍胆瑞花蝶文彩絵扇箱、色々威五十八間筋兜、色々威胴丸、色々威腹巻(以上国指定重要文化財)
蛭巻薙刀、大野太刀、舞楽面、鰐口、線刻十一面千手観音鏡像、着彩阿弥陀来迎図鏡像、御供台(以上県指定文化財)
…境内由緒書きより
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