八坂神社(津田沼)
新しい木のいぃ香りがする。品のいいシンプルな彫刻が素敵。
格子の扉からは、中を拝見することが出来て…おぉ〜お稲荷さんが、椅子(?)にちょこなんと座って(?)るっ
手水舎も新しくなり、
出羽三山への参拝記念碑などの石碑は西側に、目玉風の丸っこい何か(未だに正体がわからない…)は鳥居横の角に 移動、
サルノコシカケ付と社務所横の大きいのと、狛犬さんの横の丸っこいの以外の木々が姿を消し…
そぉいえば、狛犬さんの乗ってる台(溶岩石を積み重ねたもの)は、何やら細く成形された。
かつて居た小さいお稲荷さんとか、社殿すぐ横の桜の木とか、生きてるのかよくわからない藤棚とか…消えてしまった風景に、ちと寂しかったりするけど…きっとこれからまた新しい風景が作られていくのね…
何はともあれ…おめでとうございます。
(2015.7撮影)
-----------------------------------
玉垣が出来、境内が整備され、神社っぽさがぐっとあがった。
朱色の鳥居がまぶしぃわぁ〜
そして、やっとやっと、お祭りへ!!
1日かけて町内を廻ってきた御神輿は、宮入り一休みしてから、イオンの2階に展示される…というとこまで、追いかけてみた。
ところで………
以前、社殿の東側に鎮座してた小さなお稲荷さんは、何処へ???
(2014.7撮影)
-----------------------------------
広い意味で“氏子”なのだと思うのだけど、どうも毎年祭礼の日に何かとかぶりまともに参加出来たためしがない…
でも、大好きなお社。
あちこちの神社を見てまわる一番の要因は、建物としての荘厳な美しさだったりするのだけど、それとは違った意味で、ちょっとしたタイミングで立ち寄りたいと思える場所。
ちょっと雑然としちゃってる境内に不思議なモノがあるのも、なんだかほほえましく…例えば、謎の●、ねじ曲がった一見枯れてそうで新芽をつけてたりする植物(藤かも?棚あるし…)、移転する以前の境内に使われてたのかもって想像したくなるよぉな石柱…ホンモノの氏子さんに聞いたら教えてもらえるだろか?(〜2013.4ちょこちょこ撮影)
「八坂神社は大正13年に津田沼駅前の前原地区(現在のパルコB館)に祀られていたお稲荷様を地元の方々の熱意により、八坂神社として建立された事から始まります。それ以来永きに亘ってこの地の氏神さまとして祀られてきています。
昭和50年には津田沼駅前区画整理事業により、船橋市前原地区より現在の場所、習志野市津田沼に移転して来ました。
又、昭和56年2月7日に千葉県神社庁より“宗教法人八坂神社”の認可も受けました。
平成26年は当神社が大正13年に創祀されてから90周年の節目を迎えます。
当神社ではこれを記念して敷地に沿って玉垣建立と敷地整備を行う運びとなりました。勿論、これは当神社だけで行うには手に余る大きな事業でございますので、崇敬者、並びに地元の住民の皆様、商店会他、関係各位に広く浄財を仰ぎ、お力添えを戴き地域一丸となりまして、完遂出来る事を目標としております。
どうか整備事業に皆様のご理解ご協力を戴き、ご奉賛のお志を賜りたくお願い申し上げます。
平成25年12月 宗教法人 八坂神社」“八坂神社境内整備事業 奉賛のお願い”
「明治30年代津田沼駅前は、広漠たる野原で戸数は6戸位であった。その頃、埼玉県羽生より掘越久太郎氏が移住し、明治40年津田沼駅前の前原地区(現在のパルコB館)に堀越氏が稲荷様を祀った。大正末期に地元住民が八坂神社を奉斎して、名称を八坂神社と変更、船橋市前原津田沼駅地区と津田沼一丁目地区の両氏子により維持運営されてきたが、津田沼駅北口の区画整理により、現鎮座地に移転された。
津田沼駅から市役所方面へ抜ける通りに面したビルの裏に、張り付くように社が建っている。向かいすぐに、JR総武線の線路。横には、「陸軍鉄道第二聯隊が使用していたもので、平成5年に、西武鉄道・ユネスコ村に保存してあったものを譲り受け、ここに設置した」という国産の軍用軽便機関車K2型134号が常設してある津田沼一丁目公園がある。
…そんな立地のせいか、背後のビルとの距離を取れないので、社殿は背面を削ぎ落としたような形になっていてちょっと切ない。
相殿になっていて、むかって左が八坂神社、右が稲荷神社。
2012年7月、昭和26年に製作されて以来2度目、前回から約20年ぶりに大修繕が行われた御神輿。毎年、7月20日頃の土曜日の祭礼(津田沼ふれあい祭り)で津田沼の街を練り歩く。」境内由緒書き※旧
コメントを残す