神社散歩 ときどきお寺 砂利の感触 木々のざわめき 凛とした風
阿須賀神社
Date of shooting: 2026.02.08
| 御祭神: |
主 事解男命、家津美御子大神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神黄泉道守神 建角美神 |
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- 御由緒:
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熊野川の河口近くに位置し、「浅州処」を守護し、渡海、延命、生産、発育の御霊力を持つと言われています。第五代孝昭天皇五十三年三月の創祀と伝わり、古い記録には熊野権現は、初め神倉山に降り、次に阿須賀の森に移ったと記されています。新宮が初めて書物に文字として登場したのは、熊野神邑でありますが、熊野神邑は当神社の古名であり、神威発祥の地として広く人々に敬われました。「中右記」「平家物語」にも当社への参詣記録が見えるなど、熊野詣の隆盛に伴い当社も発展してきました。歴代の有力者達からも深い信仰を集め、元亨二年(一三二二年)には阿須賀権現が現在の東京北区飛鳥山へ勧請されるなど全国各地に当社の末社が見られます。
境内からは、弥生〜古墳時代の住居跡や祭祀跡遺跡が発見され、社殿背後の蓬莱山から大量の御正体が出土しており、熊野最古の原始信仰形態を実証し、権現発祥源として確認されました。
また蓬莱山には、中国の泰時代に始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて旅だった徐福の伝説が残っています。
例大祭 十月十五日 古式豊かな神馬巡行の儀+《阿須賀王子》
阿須賀神社は、主祭神を事解男命とし、ほか熊野三山の神々を祀っています。
長寛元年(一一六三)に書かれた古文書には、熊野権現が神倉山へ降りたのち、阿須賀へ移ったと記されています。早くから熊野信仰との関わりがみられ、平安貴族藤原宗忠の日記『中右記』(十二世紀)等、いくつかの記録に当社への参詣記録が記されています。神社背後の蓬莱山からは阿須賀神社の祭神を仏として表現した多くの懸仏(十二〜十五世紀)が発見されており、神道と仏教が融合した日本独特の宗教観を知ることができます。江戸時代には、熊野速玉大社の摂社として新宮城主の水野家から社領の寄進を受けています。明治時代になると、村社阿須賀神社として独立し、現在に至っています。
《阿須賀王子跡(阿須賀神社)》
長寛元年(1163)に書かれた古文書には、熊野権現が神倉山へ降りたのち、「阿須賀之北」に勧請されたと記されており、早くから熊野信仰との関わりがみられる。また、平安時代から阿須賀王子とされ、熊野速玉大社から熊野那智大社への道中にあたり、熊野詣の人々が多数参拝に訪れた。
阿須賀神社は、主祭神を事解男命とし、このほか熊野三山の神々を祀っている。創立時期は不明であるが、境内から弥生〜古墳時代の集落遺跡や祭祀遺物が発見されており、古代から蓬莱山に対する信仰があった。
ご神体である蓬莱山麓からは熊野の神々を仏として表現した多くの御正体(12〜15世紀)が発見されており、神道と仏教が融合した日本独特の宗教観を知ることができる。江戸時代には、新宮城主の浅野家や水野家から社領の寄進も受けた。熊野信仰の重要な拠点の一つであり、境内には多くの文化財が残されている。
和歌山県(境内由緒書きより)
- ヒトコト
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バスで、湯の峰温泉から本宮大社前、新宮行きに乗り換えて、終点1つ手前の“阿須賀神社前”下車。
住宅地をするすると抜け、熊野川一歩手前…阿須賀神社!
参道がまっすぐのびっていて気持ちいい。社殿の上…というか背後に、こんもりとした緑。
おぉ、あれが“蓬莱山”!
こうやって見てるととってもコンパクトで、社殿に近づくと見えなくなるくらいなのだけど、“南紀熊野ジオパーク”のサイトで見た空撮写真だと、なんか不思議な雰囲気。
境内をぐるりと散策し、熊野川沿いの「徐福上陸の碑」も確認。徐福の伝説は、国内あちこちにあるらしいので、史実化どうかは不明なんだろうけど…ここ新宮には、駅のすぐそばに「徐福公園」があってそこには徐福のお墓もあるらしい。というわけで、宿方面に向かいつつ、ぷらぷらと新宮散策へ。