原町 天祖神社
“母親が妊娠中に暮らしていた家から、近い神社”…つまり、最初に出会った神様ということ?
4つ上の姉が小学校にあがるタイミングで千葉市に越すまで、“新宿区原町1丁目”に居たらしい。
本籍を変えずにいたので字面としてはなじみがあるのだけど、私自身はもちろん暮らしていた記憶はないし、物心ついて以降一度も訪れたことがない。
原町の天祖神社は、番地的に隣、すぐそばだったと思われる。
母親のお腹の中から、この神社を感じていただろうか?母親は、お参りしたことあったんだろうか?
近いうちに、一度訪れてみようと思う。
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…と思い立ってから、実行にうつせたのは、3ヶ月後…6月になったばかりだというのに、くらくらするよな真夏日の昼下がり。
都営大江戸線・牛込柳町駅からすぐ…
道すがら…新しめですっきりキレイなおうちが立ち並ぶ中、たまぁに年季の入った建物をみかけると、父や母もこの“景色”見てたかも…なんて…あぁ、ノスタルジック。
で、“天祖神社”。門は、ひじょぉ〜にお寺っぽい。その奥に鳥居。ちょっと不思議。
手水舎の石桶の横に、井戸…そして、手押しポンプ。いぃ風情。
拝殿の扉が、どどぉ〜んと開いてる。なんか、気持ちいぃ…
脇にまわって本殿をちらりと拝見。コンクリート造りの小さいお社なのだけど、扉がステキ。
境内社の“桃祖神社”。木肌の素朴な感じと飾られた桃色の花にほっとする。って、社殿の中に“由来書き”が貼付けてあるので、拝見するのに、ずずぅ〜っと顔を突っ込むしかなく…
さ…少し町を歩いてみよ…(2014.6撮影)
「慶長年間(江戸時代初め、四百年ほど前)、諸国で神踊りが流行した時に、牛込の里は、とくに神踊りが盛んであった。この頃、この辺りに長兵衛という、たいへん信仰心の篤い里人がいたが、ある時、神が夢の中に現われ給うて、『我ここに住みて諸人の苦難を救わん』と言われることが、五晩続いた。そこで長兵衛はいよいよ信心を深めて、まるで、そこにおられるかのように神を祀った。それを聞いた大橋龍慶という長者が、天照皇大神宮を勧請して祠を建て、その後、諸難消除祈願、病気平癒祈願、安産祈願、弓術皆中祈願などで、お参りするが人が絶えることなく、霊験あらたかな神社として知られ、原町一丁目の鎮守として、今日も多くの人々に信仰されている。
御祭神は天照皇大神、境内には桃の神を祀った桃祖神社がある。
平成14年11月 原町一丁目町会」神門脇由緒書きより
《桃祖神社》(境内社)
「桃祖神社は、桃の神を祀る神社です。古来、中国では桃は邪気を打ち払う霊力のある果物とされていました。『古事記』では、伊邪那岐命が黄泉の国からの帰途、邪鬼に追われ苦境に立たされたときに、桃の実を投げつけて、黄泉の国から脱出しました。そこで、伊邪那岐命は、桃に、感謝し意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)という神名を与えました。以来、桃は神としてお祀りされるようになりました。
さて、何故ゆえに天祖神社の境内に、桃の神が祀られているのか。それは、社伝によると、天祖神社は、天照皇大御神という女神を祀るということから、多くの多くの女性らが参拝しました。その女性達の中には、慶事ではあるが、生命の危機もあった出産の無事を祈願する人もいました。そして神社側も、毎年盛大な安産祈願の祭を斎行し、その際に、『桃の御守』を参拝者に授与し、その御神徳を広めたということです。このお守りを受けて、無事に出産をしたある女性が、桃の神に感謝し、一体の御神像を奉納しました。この御神像をお祀りするためにお社を建立しました。これが、現在の桃祖神社となりました。
以来、安産成就はもとより、子孫繁栄、あらゆる厄難消除などに、御利益ある神様として、信仰されています。」桃祖神社内に貼付けてあった由緒書きより
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