鳩森八幡神社
ベンチがさりげなく境内のあちこちにあって、近所に住む・近所で働く・近所に通う そんな人たちの憩いの場になってる感じ。お弁当食べてたり、読書してたり、タバコ吸ってたり…
居心地、めちゃ最高。(2013.8撮影)
「八幡様は、全国に約八万社あるといわれる神社の中で、約二万五千社を数え、お稲荷さん、天神様と並び最も広く振興されている神様です。その歴史はきわめて古く、総本社は大分県の宇佐神宮です。奈良時代以来、皇室の祖先をお祀りする二所宗廟の一つであり、伊勢神宮とともに宇佐神宮は皇室の篤いご信仰がありました。平安時代には京都の石清水八幡宮、鎌倉時代には鎌倉の鶴岡八幡宮が有名ですが、どちらも武の神、源氏の氏神として武士達の崇敬を集めました。武家の守護神、破邪顕正、国家鎮護の神としての信仰はその後、室町、江戸時代へと続き、今日では平和を守る神として、発展継承されています。御祭神は、それぞれの神社によって多少の違いはありますが、応神天皇、神功皇后をお祀りする場合が多いようです。
応神天皇の時代、大陸文化が盛んに日本へ取り入れられたことや、応神天皇と神功皇后が母子であらせられることなどから、八幡様のご神徳には先に挙げたもののほかにも、産業、文化の発展と守護、子育て安産、怨霊退散、渡航平安などまことに多方面にわたっています。
いずれにしても、常に日本民族の生活の中に深く根をおろし、私達を守りつづけてくださっている神様であることに変わりありません。」“参拝の栞”より
《末社》
甲賀稲荷社(宇迦之御魂神)
冨士浅間神社(木花咲邪姫命)
神明社(天照大神)
《千駄ヶ谷の富士塚》昭和56年3月12日 都指定有形民族文化財指定
「寛政元年(1789)の築造と言われ、円墳形に土を盛り上げ、黒朴(富士山の溶岩)は頂上近くのみ配されています。
山腹には、要所要所に丸石を配置し、土の露出している部分には、クマザサが植えられています。頂上には奥宮を安置し、山裾の向って左側に御影石の里宮の建物があります。
頂上に至る登山道は、自然石を用いて階段としています。7合目には、洞窟が作られ、その中には身祿像が安置されています。
塚の前面には、富士塚を築造した際に土を採掘した凹地を利用して造られた池があります。円墳状の盛り土と前方の池という形は、江戸築造の富士塚の基本様式となっています。
大正12年(1923)の関東大震災後に修復されていますが、旧態を良く留め、都内に現存するものでは最も古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰の在り方を理解する上で貴重な遺構です。」境内備え付けのポストカードより
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