今戸神社
鳥居をくぐると、境内というか駐車場?が、広がってる…境内の真ん中に一際大きな御神木…それを取り囲む絵馬掛け。さらに、手水舎のまわりにも絵馬掛けがあって、ずらりと丸い絵馬がかかってる。
その後ろには…ファンシーなベンチがずらり…
縁結びと招き猫、さらに沖田総司の終焉の地 として有名な神社…女の子が喜びそう かも?
社殿の前には、すでに茅の輪がおかれ…ぐるりとまわってから、お参りを…
扉が開かれた拝殿の中には、大きな招き猫と招き猿(?)、そして結構大きな鶏(これは、“招いて”ないっぽい)。
扁額の周囲の板の模様の色合いがかわいらしい。
それにしても、招き猫だらけ。拝殿横の二匹並んだ招き猫石像、かわいぃ。台座には「お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫」とある。「なで猫」さんというそうで、この猫さんたちの写真を待ち受けにしとくと、願いが叶うらしぃ。
拝殿、反対側にはガーデニングというか、あらゆる草花が植わった鉢と大量の招き猫ジョーロ…そして、社務所は大賑わい………宮司夫人と参拝の方々との掛け合い(?)に圧倒される…
なんか、不思議な雰囲気のお社だわ……
「にゃんこ先生は、あっちだよぉ」って…にゃんこ先生?
社殿横の社務所へ向かうと、廊下の先に…にゃんこ先生の招き猫!!…やら、とにかく招き猫だらけ…
そしてそして…ラッキーキャット・白猫のナミちゃん!!
社殿脇の人が入り込めない場所で、ひなたぼっこしながら、大あくび。
猫猫猫 な、このお社でお願いごとするなら…やっぱり「今年こそ、“運命”の猫さんに出会えますように…」かな。(2016.12撮影)
その後ろには…ファンシーなベンチがずらり…
縁結びと招き猫、さらに沖田総司の終焉の地 として有名な神社…女の子が喜びそう かも?
社殿の前には、すでに茅の輪がおかれ…ぐるりとまわってから、お参りを…
扉が開かれた拝殿の中には、大きな招き猫と招き猿(?)、そして結構大きな鶏(これは、“招いて”ないっぽい)。
扁額の周囲の板の模様の色合いがかわいらしい。
それにしても、招き猫だらけ。拝殿横の二匹並んだ招き猫石像、かわいぃ。台座には「お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫」とある。「なで猫」さんというそうで、この猫さんたちの写真を待ち受けにしとくと、願いが叶うらしぃ。
拝殿、反対側にはガーデニングというか、あらゆる草花が植わった鉢と大量の招き猫ジョーロ…そして、社務所は大賑わい………宮司夫人と参拝の方々との掛け合い(?)に圧倒される…
なんか、不思議な雰囲気のお社だわ……
「にゃんこ先生は、あっちだよぉ」って…にゃんこ先生?
社殿横の社務所へ向かうと、廊下の先に…にゃんこ先生の招き猫!!…やら、とにかく招き猫だらけ…
そしてそして…ラッキーキャット・白猫のナミちゃん!!
社殿脇の人が入り込めない場所で、ひなたぼっこしながら、大あくび。
猫猫猫 な、このお社でお願いごとするなら…やっぱり「今年こそ、“運命”の猫さんに出会えますように…」かな。(2016.12撮影)
《御祭神》
應神天皇、伊奘諾尊、伊奘冉尊、福禄寿
《祭礼》
6月初旬
【由緒】
「当社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平6年(1063)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴が丘と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
應神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。
従って應神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
伊奘諾尊・伊奘冉尊御夫婦の神は加賀の白山比咩神社のご祭神にして、嘉吉元年(1441)千葉介胤直が自分の城内に勧請しました。
諾冉二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と崇敬されております。
昭和12年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。」境内案内板より
今戸1-5-22 » Google MAP
[オフィシャルサイト » http://members2.jcom.home.ne.jp/imadojinja/]
《周辺のオススメスポット》
【今戸焼 白井】
今戸神社から北へ100mほど、隅田公園そばにさりげなく…創業五百年というたった一軒になってしまったという今戸焼のお店(工房)“白井”さん。年内の営業は25日だったそうで、閉まっていたのだけど………と、名残惜しく、ガラスから覗き込んでいたら…店主さん、奥から出てきて、
にこやかに「どうぞ」とお店に招きいれてくださった…あぁ…すいません…
お店の棚には、ちょっと素朴な味わいある人形たちが並んでる。
と、年末のお片付けがお忙しいであろうに、丁寧にお人形や今戸焼の歴史やら、あれこれ教えてくださる。
申し訳ないと思いつつ、結構長居しちゃって、お人形の注文までしてきちゃった…
どのこもいぃ味わいで、選ぶのにすごく悩んで悩んで…やっぱり外せない な“〆猫”さんと、そして、棚の一番隅っこに居るのになのともいえない存在感の小河童さん。
出来上がりに、1年から1年半くらいかかるそうだけど、待っている間のお留守番(?)としての絵葉書をいただき、楽しみに楽しみに待てそう。
また、ここいらにお散歩きたら、ぜひぜひ寄らせていただきたいな。ほんとに居心地のいぃ、素敵なお店と店主さん。
ちなみに…干支の人形は、同じ干支でも同じものは作らないそうで、2017年の酉さんも、12年前とは違うもの とのこと。
迷って迷って見送ってしまったぷっくぷくの太鼓酉さん…(工房の台の上でずらりと並んだ姿も愛くるしかったわ)
連れて帰ってこなかったことをちょいと後悔してたのだけど…
どうやら、待乳山聖天さんにも置いてあるらしく…ちらりと行ってこよっかな…(そこまで行ったなら、お店にいけよ な気もするけど…)
今戸焼物 by.広重・国貞(from 国立国会図書館)
【山谷堀公園(いまどばし)】
「山谷堀がいつ頃掘られたかははっきりしないが江戸の遊里吉原との関係からみてもおそらく江戸初期にでいたものであろう。都下水道局ポンプ場のところから隅田川へと注ぐ約700メートルにおよぶ山谷堀は、北区の音無川を源とし、飛鳥山の北側、王子権現の下を経て通じていた。
当時、この堀は吉原への通路の一つであった。
山谷堀を通るので吉原通いを別名、山谷通いともいった。
猪牙船などを仕立てて このコースを使う遊興はぜいたくとされ、まさにおだいじん遊びだった。
堀の上流の方から日本堤橋、地方橋、地方新橋、紙洗橋、山谷堀橋、正法寺橋、吉野橋、聖天橋、今戸橋と9つの橋がかけられていたが、埋立に伴いすべて取り除かれており、橋台のみが昔の面影を残している。
現在は、水と緑の憩いの公園として整備されている。」案内板より
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