亀戸天神社
で、ふと…天気もいいし、ふらりと立ち寄ってみた。
亀戸駅から駅前商店街を抜け…なんか、すごくノスタルジックな町並みだ。こんな街で暮らしたら、楽しそう…なんて、きょろきょろしながらテクテク。
“梅”は…すでに満開な木もあり、まだほぼ蕾な木もあり、全体的には半分くらい?
コノ“もうちょっと”って感じ、好き…人出も程よいし。
やっぱり、青空にぴんく色っていいな。
と、梅を眺めながら境内散策。
こんなに石碑がいっぱいあったんだ…解説がついているものもないものもある中で、なぜか“八百萬神”に目を奪われる。ありそうでないって感じ?
それにしても…
藤まつりの時に訪れてから、10年経っていたとは…驚きだよ…(2017.2撮影)
---------------------
亀戸はその昔「亀ノ島」という海上の島だったと言われいる。そのせいか、境内の心字池には沢山の亀がごっちゃり生息してる。なかなかに圧巻。
藤の季節…この色合い、社殿に似合うわぁ
藤まつりの真っ最中…賑わいも心地いぃ。(2007.4撮影)
正保年間(1644年 – 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐が、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡り、1661年(寛文元年)江戸の本所亀戸村にたどり着いた。元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。
境内に咲き誇る花々。初春には梅、初夏には藤、秋には菊…と、開花時期に合わせ、お祭りが開催される。特に藤は、江戸時代には「亀戸の五尺藤」といわれ、東京随一。
*摂末社:御嶽神社、花園社、弁天社、紅梅殿、神牛殿
「江戸時代から学問の神様として信仰を集め、梅や藤の名所として庶民から親しまれてきました。
寛文2年(1662)九州太宰府天満宮の神職が、飛梅の木で菅原道真の像を作り、祀ったのが創建といわれています。
毎年1月24日、25日に『うそ替え神事』が行われ、前年のウソを納め、新しいウソを求めると『凶もウソとなり吉にトリ替わる』といわれており、檜の一刀彫のウソに人気があり、たくさんの人々でにぎわっています。」鳥居横案内板より
《御嶽神社と菅原道真公》(境内社)
祭神:比叡山延暦寺第十三代座主 法性坊尊意僧正
社殿:寛文9年(1669)11月21日に九州太宰府御嶽山より勧請し建立され、古くは亀戸妙義社とも号されました。
現在の御社殿は、菅原道真公御神忌1075年 大祭の記念事業の一つとして、昭和51年に再建されたものです。
祭日:初卯(正月の初卯日) 卯日祭(毎月の卯之日)
「法性坊は、道真公(天神様)の教学、御祈の師で、道真公が葬去ののちは太宰府天満宮の社殿造営に関わられ、社前に一念三千の心字池を構えて三世一念の太鼓橋を架けられるなど道真公とのご関係は殊に深く、よって当宮境内に奉祀されました。
法性坊は智徳世にすぐれ、ご在世の内にも奇特多い高僧として知られ、天慶3年(930)2月の卯日の卯の刻に亡くなられたことから、春の陽気を迎える『卯の神』と敬仰され以来月毎の卯日はもとより、特に正月の卯日は、陽気を迎えるはじめとして卯槌、卯の神札を求め、福徳・才智・愛敬を願い、除病・延命を祈りました。」社殿脇案内板より
《花園社》(境内社)
「ご祭神は、菅原道真公の北の方で、道真公の父君是善公の門人であり、道真公がご幼少の時の師であった儒者の島田忠臣の御女であらせられ、御名を宣來子(のぶきこ)と申し相殿に御子達十四方をお祀りしています。
寛文年中(1661〜1672)亀戸天神社の創建と時を同じくして、筑紫(福岡県)の地より勧請し、以来花園大明神とも号されて、安産・子宝・育児の神・また立身出世の守護神として信仰されています。
『安産御守護・岩田帯・安産祈願絵馬はご本社でお頒ちしております。』」社殿横案内板より
《弁天社》(境内社)
「寛文五年、太宰府天満宮(福岡県)心宇池畔に鎮まり座す志賀社を勧請したのも始めとしますが、時代の推移と共に、七福神の一つであり無量の福徳を与える弁財天(水の神・音楽の神)の信仰と習合し、一般には弁天様と親しまれて、福徳福智を増し天災地変を消除する開運出世・芸能成就の神として信仰されてきました。その間幾度か災害に罹りその都度復興されましたが、近年殊に社殿の破損も著しく、菅原道真公神忌1100年大祭に伴う記念事業に併せ、地元宮元会社員一同を始めとする崇敬者各位の御奉賛により、装いも新たに修復されたものであります。(平成13年12月1日 遷座祭執行)」社殿脇案内板より
《紅梅殿》(境内社)
「御本社と時を同じくして寛文2年(1662)に太宰府天満宮の御神木『飛梅』の実生を勧請し、社殿前に奉斎したのを起源とし、昭和63年に現在地に再建される。」社殿脇案内板より
《五歳の菅公》
「昭和52年の御神忌1075年大祭記念として奉納される。台座に道真公の五歳の時庭前の紅梅を詠まれた和歌を刻す。
美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくそある」像横案内板より
《御神牛》
「天神様・菅原道真公は、承和12年(845)『乙丑の年』の6月25日にお生まれになり、延喜3年(903)2月25日に太宰府の配所でお亡くなりになりました。
葬送の列が進む中、御遺体を乗せた車を曳く黒牛が臥して動かなくなり、これは道真公の御心によることと、その場所を墓所と定められました。
その後、そこに社殿を建立し、御霊をお祀りしたのが太宰府天満宮の起源で、この年も『乙丑の年』でした。
また、道真公が京都から太宰府へ下向の途中、白牛によって危難から救われたという故事も伝えられています。
このように道真公と牛との御神縁は殊の外深く古来より信仰されて来ました。
この神牛の座像は昭和36年、御鎮座300年祭にあたり御社殿の復興とともに奉納されたものです。」神牛横案内板より
《神苑の梅》
「“東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ”
御祭神菅原道真公(天神さま)と梅の花のゆかりはあまりにも有名で厳冬の中に凛として咲き誇る姿は古来より多くの人々に愛で親しまれて参りました
当社の梅は 藤の花と共に創建当初より名高く社殿や太鼓橋その他多くの句碑 記念碑などに彩りを添えて咲きます
ご社殿正面左右の絵馬掛けの中に紅白梅を一対を始め東西参道沿に 全体で50種類 約300本の色々な梅花が 2月中旬より3月上旬にかけて最も美しい時期を迎え境内一円はその馥郁とした香に包まれ春の訪れを告げてくれます」境内案内板より
《筆塚》
「筆塚は、書家や書道に励む人等が筆の労に感謝するとともに、一層の上達を願って廃筆を納めたものです。
当宮では、『宮居に遠き人丈為に、吉書初め(書初め)に可用筆を文政4年(1821)より毎年12月朔日から晦日迄出す』と伝えられ、今も『梅ケ枝筆』を授与しています。
特に、天神さまの御忌日 2月25日には神苑の梅の木で調製した筆を授与いたします
筆塚祭(書道上達祈願祭)
毎年7月25日執行し廃筆清書の焼納(お焚き上げ)を行います。」塚横案内板より
コメントを残す