前原 御嶽神社
とにかく、ほんとに緑が気持ちいぃ境内。
裏手の裾から見上げると、“人の手の入った樹々というのもよいものだわ”なんて、しみじみ思ったりもする。
神社が面しているのは“成田街道”。
長いこと「いつも混んでいる道」というだけの認識しか持っていなかったのだけど…
最近俄然興味を持っているのが地元史で、中でも“道”に特に“道”に心惹かれていて、そういえば“成田街道”も「古道」じゃないか、と…
歩いてみたら、昔を思わせる“何か”に出くわせるかもしれない。
うっわ 歩きたいっ
(2013.3撮影)
大和の国(奈良県)の芳野(吉野)の里に祭られていた蔵王権現が起源。
延宝元年(1673年)、開拓地として苦しい生活を送っていた村人たちの精神的な支えとするべく、初代上東野新助氏が江戸鍛冶橋の行者釈仙竜師を伴い、前原開拓地3ヶ村の守護神として蔵王権現を大和の大峰山から奉遷。
明治維新の際に蔵王権現の称を御嶽神社に改め、その後昭和33年4月23日に、蔵王権現三尊立像が県有形文化財に指定され、さらに社殿は火災と再建を経て現在に至る。
《木造蔵王権現三尊立像》※非公開
「奈良時代の山岳修行者で修験道の祖と呼ばれる役行者小角が、吉野の金峯山で修行中に衆生(いのちあるもの全て)救済を願い、神仏を呼び出そうとしたところ最初に初夏如来、次に千手観音、弥勒菩薩が現れました。しかし、それに満足せずさらに強力な仏の出現を祈ると、最後に現れたのが蔵王権現であったといわれています。日本古来の神と仏教が結びつく神仏習合の思想に基づき、蔵王権現は仏・菩薩が衆生救済のために、権(かり)の姿で日本の神として現れるという「本地垂迩説」の考え方から生まれた日本独自の神です。
中尊の蔵王権現の像高は96cmです。憤怒の形相が巧みに表現された重厚な秀作で、製作年代は平安時代後期までさかのぼると推定されます。両腕と両足は忠誠の後補と推定され、玉眼・光背・台座・宝冠などは均整の後補です。両脇侍の童子像の像高はどちらも58cmです。鎌倉時代の製作と推定され、落ち着きのある表情をしています。両像とも手首・台座などは後補です。3体ともヒノキ材の一本造で、内刳りを施しています。
この蔵王権現三尊立像は、前原新田が開墾された江戸時代の延宝年間(1670年代)に当地の草分けの一人東野新助が、江戸神田の修験僧林光院釈仙竜と共に前原に迎え、祀ったものと伝えられています。」境内説明書きより
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