三穂道別稲荷神社
お、鳥居っ
目指して捜して辿り着いたお社との出会いはもちろんうれしぃのだけど、こぉいうノーマークでの“出会い”は、より一層うれしかったりする。
細い路地に面した、かわいらしぃお稲荷さん。
覆屋の柱に「関心のある方 どうぞ一部お持ちください」とボックスに入った“由緒書き”の紙に、地元の方々の“愛”を感じて心ほっこり。
小さなお社なのだけど、すっきりお掃除されていて、境内土の苔も青々と綺麗。
神狐さんは、ころりとした子犬風でかわいぃ。目つき鋭いけど…
路地を南に抜けると、その入口に社号標。いぃな、この風情…(2014.5撮影)
目指して捜して辿り着いたお社との出会いはもちろんうれしぃのだけど、こぉいうノーマークでの“出会い”は、より一層うれしかったりする。
細い路地に面した、かわいらしぃお稲荷さん。
覆屋の柱に「関心のある方 どうぞ一部お持ちください」とボックスに入った“由緒書き”の紙に、地元の方々の“愛”を感じて心ほっこり。
小さなお社なのだけど、すっきりお掃除されていて、境内土の苔も青々と綺麗。
神狐さんは、ころりとした子犬風でかわいぃ。目つき鋭いけど…
路地を南に抜けると、その入口に社号標。いぃな、この風情…(2014.5撮影)
《御祭神》
宇迦魂命
《祭礼》
4月
【由緒】
「『御府内寺社備考』[神社]に「深川海辺大工町裏町 満穂稲荷社 境内除地四十八坪持添 町並御年貢地五十六坪 当社者慶長元申年[1596]起立之由」と書かれ(慶長18年[1613]、寛永7年[1630]との説もある)、『寺社書上』には「深川元町神明別当泉養寺持」とあり、『葛西志』には「里人の伝に、古は社地わずかに三坪あり、世に三坪の稲荷といへり」とも書かれています。ここ小名木川の南岸は海辺で、埋め立てられた土地であるといわれています。小名木川の関係で船大工の集落ができ、海辺大工町と呼ばれるようになったと思われます。
当神社は、いにしえ、泉養寺の管理であったこと。泉養寺(現・市川市国府台)は、深川の開拓者・深川八郎右衛門一族の菩提寺であります。また、社地が三坪だったので、三坪稲荷と呼ばれていたのを満穂となり、さらに三穂に変えています。三坪の三が関係しているのかも知れません。
満穂稲荷社とは別にあった道別稲荷の創立は「長禄年間(1457-1459)とも伝えられている」とのことですが、昭和40年4月に隣り合わせにあった道別稲荷を合祀しました。町会では毎年4月に富岡八幡宮の神主を呼んでお祓いし、例大祭をおこなっています。
平成24年5月吉日 江東区清澄三丁目北部町会」境内配布由緒書より
清澄3-9 » Google MAP
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