西千葉稲荷大明神
駅前ロータリーと駐輪場の合間に鎮座。
ここらは江戸時代の佐倉藩刑場跡だったそうで、そのせいもあってか、ロータリーの大きな松・通称“祟りの松の木”と共に、心霊スポットとして有名らしぃのだけど…
ぞっとする気配は微塵も無く、立ち並ぶ幟と鳥居の朱が明るく、工作のよぉな素朴な神狐がかわいらしくて、むしろ素敵にほっとする場所。
小さな祠にもかわいらしぃ狐さんが並べられ、脇の絵馬掛けも賑やか。
通勤・通学で“西千葉駅”を使ってたら、毎日お参りしたいくらいっ
お賽銭箱の後ろに文箱が置かれていて、中には「正月御神札の祀り方」の紙が…一枚、いただきましたっ(2014.11撮影)
ここらは江戸時代の佐倉藩刑場跡だったそうで、そのせいもあってか、ロータリーの大きな松・通称“祟りの松の木”と共に、心霊スポットとして有名らしぃのだけど…
ぞっとする気配は微塵も無く、立ち並ぶ幟と鳥居の朱が明るく、工作のよぉな素朴な神狐がかわいらしくて、むしろ素敵にほっとする場所。
小さな祠にもかわいらしぃ狐さんが並べられ、脇の絵馬掛けも賑やか。
通勤・通学で“西千葉駅”を使ってたら、毎日お参りしたいくらいっ
お賽銭箱の後ろに文箱が置かれていて、中には「正月御神札の祀り方」の紙が…一枚、いただきましたっ(2014.11撮影)
《御祭神》
倉稲魂神
【由緒】
「江戸時代に与助と言う20代の若者が、
ウナギを卸しているとある年長の女将さんと恋仲になり、
それが発覚して西千葉の刑場で処刑をされることが決まった。
刑場への道中、歯の強い男が与助の縄を歯で噛み切って、与助は江戸へと逃亡を図り、
その後与助は小さな旅館で真面目に働き、その店は良く繁盛した。
その後家族にも恵まれていたのであるが、与助の頭には自分が逃亡してきた西千葉で、
他の処刑された人々への思いが募り、ある日西千葉へ出向き、
小さな石を積み上げて供養した」由緒書きより
中央区松波2-6 » Google MAP
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