於岩稲荷(陽運寺)
お寺自体の名前よりも、門に個性的なフォントで書かれた『於岩霊堂』の文字の方が目立ってる…その門を潜り、繁った樹々でトンネルのようになってる参道の先に、白い歯むき出した“阿”の狐さんとおすまし顔の“吽”の狐さん…正面には小さな祠…こちらは福禄寿稲荷で、その並びに水かけ福寿菩薩、右手奥に“お岩さま縁の井戸”、その左手前が“於岩稲荷”。で、反対を向くと…ん?於岩稲荷って提灯下がっているけど…本堂か?!本堂らしぃ…
右手あれこれの印象が強くて、後回しになってしまった………すいません…
というか、お寺をあげて、むしろ“於岩稲荷”がメインという雰囲気…
こちらの本堂には、お岩さんの木像が安置されているそうな。そして、“お岩さま縁の井戸”は昭和32年に新宿区文化財に指定されていうとのこと。(陽運寺サイトより)
こちらでも、お岩さんについては“家庭をとても大事にした貞淑な妻”という見解のようで、それゆえ、“縁結び”ということのよう。とはいえ、それと一緒に“縁切り”という御利益もあるのが面白い。“悪縁”を絶ち“良縁”を結ぶ…というのは、理想的な形だね。
でもって、お向かいとの関係は?
こちらでも、そこには一切触れてないっぽい。
ここは一つ、先人の力をお借りましょ…
思わず吹き出してしまうほどおもしろかった“ぼちぼち日記”さんの『四谷、お岩さんゆかりの神社の謎』からの『お岩さん「神社VSお寺」の争いなのか?』そして『「於岩稲荷霊神・陽運寺」を直撃する…どうか?』。
10年以上前の記事だけど、壮大な三部作!
これは、田宮さんの勝ちってことか?
さらにあちこちのサイトを拝見…
そしてたどり着いたのがまじめに興味深い“王子のきつね on Line”さんの『於岩稲荷に関する考察』。
こちらも10年以上前の記事だけど、
江戸幕府の公文書を紹介しつつ、
妙行寺にある田宮家の過去帳から、“田宮家”は断絶したのかどうかに関する考察。
こうなってくると、引き分けの可能性もあるかも?
でもまぁいずれにしても、
今も変わらず双方“於岩稲荷”としているのだし、
明らかなる“真実”ってのは、もはや無いのかもしれないし、
はっきりさせる必要もないのかも?
歴史は謎だらけ…お岩さんの謎は奥深い…
少なくとも、こんなに沢山の人たちがいまだに“お岩さん”に興味津々ってこと、
きっとお岩さんにとっても、誰にとっても、悪いことではないような…
さて…もう一歩き…曙橋まで行くぞっ(2017.9撮影)
「江戸時代、文政八年七月 歌舞伎作者 四世鶴屋南北作
『東海道四谷怪談』が世に広まり、お岩様が庶民の畏敬を集めました。
この地にあったお岩様の霊堂が戦災に遭ったため栃木県沼和田から薬師堂を移築再建し当寺が開山されました。
境内にある泰山木の下にお岩様縁の祠があったと伝えられ陽運寺の起源とされています。
薬師堂の棟札には宝暦七年と記されており250年以上の歴史のある建物です。
当堂内にはお岩様の立像が奉祀され、厄除け、ご縁事、芸能事に霊験があると多くの参拝者の信仰を集めています。境内にはお岩様由縁の井戸、再建記念碑等があります。
平成25年癸巳年十月吉辰 於岩稲荷 長照山 陽運寺」境内案内板より
《お岩さまと縁結び》
「『東海道四谷怪談』でおなじみのお岩さん。
この怖いお岩さんが出てくる四谷怪談はじつは後世の人が創作した物語なのを知っていますか?
舞台であるここ、四谷は東海道ではないことからも後に作られた物語だということがわかります。
江戸時代に実在した女性『お岩』は家庭をとても大事にした貞淑な妻だったとも伝えられています。
このお岩さまを祀る陽運寺は、『えんむすび』の寺としても全国に知られています。
悪縁を切り、良縁を結ぶお岩さま。
厄除け、縁結び、芸道上達、また新たに出会いを望まれる方もぜひ、本堂からご参詣ください。
當山」境内案内板より
《於岩稲荷 水かけ福寿菩薩》
「お題目(南無妙法蓮華経)を唱えながら、お水をおかけ下さい。あなたの厄が除かれ、あなたに福寿(幸福)が訪れます。当山」境内案内板より
《お岩さま 縁の井戸》
「現在も御霊水として使われています」井戸横案内板より
《宗祖降誕八百年慶讃事業『陽運寺本堂客殿改修工事のお知らせ』》
「当山は信徒、地域の皆様の信仰の拠り所として、長きに渡り、護持されてきましたが、本堂は今年で築260年となり、老朽化が進んで参りました。
宗祖日蓮聖人ご誕生800年を迎える記念事業として 本年6月より本堂客殿改修工事を行うことになりました。
ご参詣の皆様には工事期間中、ご迷惑をおかけ致しますが、ご理解、ご協力をお願い申し上げます。
改修工事期間 平成29年6月より10月迄 当山」門扉貼付案内紙より
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