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浅草寺
Date of shooting: 2013.08.04, 2017.03.27, 2018.01.07, 2018.05.26
- 御本尊:
- 聖観世音菩薩
- 祭礼:
- 四万六千日・ほおずき市:7月9、10日
- 御由緒:
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飛鳥時代の628年(推古天皇36年)、隅田川(当時宮戸川)で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟の網に、一体の仏像がかかった。土地の長である土師中知がこれを確認したところ、聖観世音菩薩の像であることがわかり、自宅を改装してお堂にして、生涯をささげて祀ったのが浅草寺の起源とされている。
山号は金龍山。 元は天台宗に属していたが、1950年に独立して聖観音宗の本山となった。都内では坂東三十三観音唯一の札所、また江戸三十三観音札所の第1番でもある。
- 開門時間・お作法など:
- 開堂時間は、6~17時(10~3月は6時30分〜)
- 摂社・末社などなど:
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- 浅草西参道商店街
- 浅草公園六区と浅草寺を結ぶ通りとして整備された浅草西参道商店街
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- 雷門
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風神・雷神が守護する浅草寺の総門
浅草のシンボル
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- 仲見世
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浅草寺の表参道
雷門から宝蔵門まで長さ約250m、両側に朱塗りの店舗が並ぶ。
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- 宝蔵門
- 左右に仁王尊像を安置している朱塗りの2階建て門。 門裏には、重さ約500kgの大わらじが掛けられている。
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- 五重塔
- お釈迦様の遺骨(仏舎利)を安置する高さは約48メートルの塔
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- お水舎
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参拝前に手や口を清める場所
中央には、沙竭羅龍王像(高村光雲作)が安置されている。
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- 弁天堂
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小高い丘「弁天山」に鎮座
白髪の弁財天(老女弁天)が祀られている
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- 二尊仏
- 観世音菩薩と勢至菩薩の金銅坐像
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- 母子地蔵尊
- 旧満州からの引き揚げ時に亡くなった多数の母子を慰霊するために建立
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- 久米平内堂
- 多くの人を斬った罪を償うため、自らの像を参道に埋めて「踏みつけ」させたという伝承が由来
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- 平和地蔵尊
- 龍郷定雄氏が、空襲等で亡くなられた方々の霊を慰め、世界の平和を祈念して、浅草寺の協力のもと、私財を投じて建立
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- 旧五重塔跡
- 倒壊・焼失を重ねてきた塔は、江戸時代(1648年)三代将軍徳川家光によって再建された(高さ33メートル)
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- 平和の時計
- 東京大空襲の被害を受けた浅草の地で、平和への深い祈りを込めて時を刻み続けている
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- 鳩ポッポの歌碑
- 童謡『鳩ぽっぽ』は、明治33年、作詞家・東くめが浅草寺の境内で鳩と戯れてる子供たちに着想を得た歌詞で、瀧廉太郎が作曲。
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- 迷子しるべ石
- 江戸時代に迷子や尋ね人の情報を共有するために使われた歴史的な石柱
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- 正観世音菩薩碑
- 江戸時代の有名な石工の「大窪世祥」が、文化・文政年間(1804年~1829年)頃に「正観世音菩薩碑」の文字を彫ったらしい
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- 力石
- 正面の「力石・熊遊の碑」は、明治7年(1874)、熊次郎という男が持ち上げた百貫(約375キロ)ほどの力石であり、新門辰五郎らがその記念として建てたもの。
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- 青蛙神像
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中国の霊獣“青蛙神”
前足二本、後ろ足の代わりに尻尾の足が一本伸びている
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- 半七塚碑
- 岡本綺堂の代表作『半七捕物帳』を記念して昭和24年(1949年)11月に建立された石碑
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- 戸田茂睡墓
- 戸田茂睡は、国学の先駆である江戸時代の歌人
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- 曽我廼家五九郎顕彰碑
- 明治から昭和にかけて「喜劇王」として人気を博した俳優・曾我廼家五九郎を称えるもの
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- 喜劇人の碑
- 人々に笑いと喜びを与えてくれた喜劇人たちに感謝の意を表し昭和57年(1982)に建立
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- 映画弁士塚
- トーキー(発声映画)の登場により姿を消した弁士たちの黄金時代の歴史を偲び、昭和33年(1958年)に建立
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- 石井漠『山を登る』記念碑
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我が国における創作舞踊・近代バレエの創始者である石井漠を偲び、昭和38年(1963年)に建立
『山を登る』は代表作
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- 浅草観光纉緒の碑
- 浅草観光連盟の発足20周年を記念して1968年(昭和43年)に建立された石碑
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- 瓜生岩子女史の銅像
- 明治時代に孤児や貧民の救済、医療施設の設立など社会事業に尽力し、「日本のナイチンゲール」とも称される慈善家
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- 一葉観音像碑
- 一葉観音の姿が表面に薄く線刻されている
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- 粟嶋堂
- 女性の守り神である「淡島明神」を祀っており、毎年2月8日に行われる「針供養」の寺院として有名
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- 淡島堂の天水桶
- 本堂の秘仏であるご本尊を厨子ごとこの桶の中に納め、土中に埋めることで戦火から守り抜いたという歴史的なエピソードを持つ貴重な品
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- 胎内くぐりの灯籠
- 子供がこの灯籠の下をくぐると、夜泣きやひきつけなどの「虫封じ」や「疱瘡除け」のご利益があるとされている
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- 魂針供養之塔
- 裁縫で折れたり錆びたりした針を供養するための石塔
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- 浅草大平和塔
- 昭和38年(1963年)に東京大空襲などの戦災殉難者を追悼し、世界の平和を祈念して建立
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- 戦災供養地蔵尊
- 東京大空襲などの戦災で亡くなった方々を供養するため、浅草芸妓組合によって建立
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- 写経供養塔
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信徒が奉納したお写経を供養するために建立されたもの
毎年10月29日の「写経供養会」で、一年分の写経が手厚く供養されている
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- 銭塚地蔵尊
- お地蔵様の像の下に、江戸時代の貨幣「寛永通宝」が埋められているという言い伝えがある
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- カンカン地蔵尊
- 付随の「小石」で御身をごく軽く「たたき」御願いごとをする
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- 九代目 市川團十郎像
- 『暫』で鎌倉権五郎を演じる市川團十郎が、自ら考案した元禄見得を行なっている場面の像
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- 六角堂
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都内最古の木造建造物(都特定有形文化財)
日限地蔵尊を安置
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- 三尊名号供養塔
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文政6年(1823年)に建立された歴史ある供養塔
正面に「南無阿弥陀仏」、向かって右側に「観世音菩薩」、左側に「大勢至菩薩」と阿弥陀三尊の名前が刻まれている
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- 西仏板碑
- 鎌倉時代頃に西仏(さいぶつ)という僧侶が、亡き妻の追善供養と子供たちの息災を祈って建立したと伝えられている
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- 石橋
- 1618年に浅草寺に東照宮が造営された際、その参詣のための神橋として架設
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- 二天門
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1649年に創建
当初は浅草東照宮の随身門として建てられたもの
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- 影向堂
- 観音さまの説法や教化を助け、法座を荘厳にする仏さまたち(影向衆)を祀るお堂
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- 三峰神社
- 御祭神:伊弉諾尊と伊弉冉尊
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- 薬師堂
- 本尊の薬師如来のほか日光・月光菩薩および眷属の十二神将、冥界で死者の罪業を裁く十王の群像が安置
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- 一言不動尊
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享保10年(1725年)建立
願い事を一つに絞って祈願すると叶うと古くから信仰されている不動明王
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- 銅造観音菩薩坐像
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江戸時代の鋳物師である小沼播磨守藤原長政が制作したもの
台東区の有形文化財指定
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- 六頭龍権現
- 昭和33年(1958年)の本堂再建時に、長野県の霊峰・戸隠山(戸隠神社)から勧請された、浅草寺の伽藍を守る重要な守護神
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- 金龍権現
- ご本尊観音さまのご示現にあたり、天より百尺ばかりの金龍が舞い降りて、その功徳を讃え観音さまをお守りしたとされる
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- 出世地蔵尊
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いわれや建立時期不明
就職や転職、出世を願う多くの参拝者が訪れる
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- 商徳地蔵尊
- 商売繁盛(商徳)や諸願成就のご利益があるとされ、浅草寺の伽藍安穏を見守っている
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- 子育地蔵尊
- 子どもの健やかな成長を願う多くの参拝者が訪れる
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- 銭塚弁財天
- 福徳財運の弁財天さまとして、特に信仰が篤い
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- めぐみ地蔵尊
- 我々に幸せをお恵みになることからこの名を以て親しまれている
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- 恵日須・大黒天堂
- 江戸時代前期の延宝3年(1675)に浅草寺に奉納された石像
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- 一葉観音
- 水難事故で亡くなった子どもの菩提を弔うため、寛政9年(1797年)に建立された銅像
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- 駒形堂
- ご本尊である聖観世音菩薩が隅田川から出現された際に、最初に安置された浅草寺草創の聖地
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- ヒトコト
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知った気になっていた浅草寺。
改めて程嬰に回ってみたら、知らないことだらけで、みどころも満載。
きっとこれからも、行くたびに新しい発見がありそう。
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