神明大神社(佐倉)
境内に続く細い道がまっすぐ(元々は参道だったらしぃ…)…気持ちいぃ。ちょうど夕暮れ時で、オレンジに輝く御神木や社殿が美しい。
お祭りの日なこともあり、社殿を掃き清める氏子さんの姿が清々しく、“村の鎮守の神様の…♩”なんて、思わず口ずさみたくなるよな風情。
拝殿の扉が開かれ、お賽銭箱のすぐ後ろ、氏子総代と思われる方がこちら向きに座っていて、ちょいと緊張してお参り。
その後、参拝に来たご夫人が、“御初穂料”と思われるものを渡しているのを見て、“あぁ、なるほど…”と。
“氏子”を意識できる土地で生まれ育ってこなかったので、そぉいったこと、何も知らない…ちょっと寂しい。
でも、“神社”って、初めてだろぉがゆきずりだろうが迎え入れてくれる雰囲気があって…そぃうとこが好きだったりもするのよね。(2013.10撮影)
「“しんめいさま”として親しまれている本町の鎮守「神明大神社」にお祀りされている神様は、伊勢皇太神宮と同じ日の神様「天照大御神」です。今から、740年前の昔「鎌倉時代」の建治年間(1275〜1277)に建てられました。 建てられた当時の大きさや規模はわかりませんが、明治時代の記録では「社殿は間口・奥行きとも一間半」「拝殿は間口約二間・奥行き約五間」とされ、昭和57年と平成7年に増改築され現在に至っております。 拝殿内中央に、順天堂医院・故 佐藤強先生の「神明大神社 藤強書(平成13年)」の扁額があります。境内の入り口に大きな「常夜灯」や「道祖神」があり境内に入ると左側の祠に「大鷲神社(五穀豊穣の神)」「蛭子大神宮(商いの神)」の二神が祀られています。そのほか中小の石灯籠や卵塔など石仏が見られます。 再建された鳥居…「神社参道入口・旧鳥居跡」碑前の道路は大佐倉から本町に至る旧浜宿街道と言い、かつて神社まで約百mの参道両側は、畑で道幅が七間と広く町内の運動会が開かれましたが戦後の農地解放により道幅が一間半に狭められました。 参道入口には、明治三年以来鳥居が造立されていましたが老朽化が進み平成24年10月神社境内に移設再建されました。 鳥居の顔文字「神明大神社」は藤強書を縦書きにしたものです。 佐倉市の保存樹として昭和51年に指定され、境内を覆っている「ケヤキ・モチ・シイ」などの樹々も、280年の歴史ある古木で大切に管理されています。大将時代(百年前)までは本殿脇に注連縄を張られた杉の巨木があったそうですが朽ち果て、その後は本殿の裏側に樹齢三百年の大きな杉の木が「御神木」として聳えていましたが、これも戦後間もない頃「雷」にうたれ枯れてしまいました。 しんめいさまのお祭りはもともと、秋の収穫祭として10月14・15日の二日間行われていました。 「麻賀多神社のお祭り」は10月14・15・16日の三日間、弥勒町「八幡様のお祭り」は9月14・15・16日の三日間と神社毎に行われていましたが、近年は地域交流のイベントとして10月第二週の金・土・日の三日間「佐倉の秋祭り」として行われ「お神輿の渡御・お神酒所(山車)」が引き回しされます。 神明大神社の「お神輿」は約四百kgで十数人の白丁をまとった若衆の手で初日「神明まつりさあらばさし」の掛け声で担がれます。「お神酒所(山車)」は、初日に町内を二日目は町外(イベントに参加)・三日目は町内外に運行され盛り上がります。また、年始初詣には境内でお神酒や温かい飲み物が振る舞われ大晦日から元旦にかけて善男善女で賑わいます。寒中(1月20日頃)には「おびしゃ=お武射(五穀豊穣を願い竹で作った弓矢で的を射て、厄を払う祀りごと)」が有志によって引き継がれ現在も行われています。おわり 神社総代会・平成24年10月」境内解説書より
コメントを残す