忍岡稲荷[穴稲荷]
今にもふさふさのしっぽがちょろりと見えそうな素敵な穴蔵。ものすごく気になるお稲荷さん。(2013.4撮影)
【由緒】
「穴稲荷:正しくは忍岡稲荷と云い花園稲荷の旧跡である。左奥のお社は、寛永の初め天海が寛永寺を草創の際に忍ケ岡の狐の住み處を失った事をあわれみ一洞を作りその上に祠を建てて祀ったのと云われている。」境内由緒書きより
御創祀の年月は不祥だが、古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)が正しい名称だが、石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われている。
承応三年(約340年程前)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、晃海僧正が、霊夢に感じ(家光の命とも言われている)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神とした。
幕末、彰義隊の戦では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られている。
後、明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、花園稲荷と改名、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新された。
左奥にありますお社は、古書に弥佐衛門狐と記され、寛永寺が出来る時忍岡の狐が住む処が無くなるのを憐み、一洞を造り社を祀ったと云われている。
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