水神社(目白台)
社殿はこじんまりとし、境内も広くはないけど、高い樹々の木陰を抜ける風がなんとも気持ちいぃ。(2013.5撮影)
「創建の年代は明かでない。
『江戸砂子』には、「上水開けてより関口水門の守護神なり。とある。
わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水が開いた。井頭池からの流れを、目白台下の現大滝橋あたりに、堰(大洗堰)を築き、水位をあげて上水を神田、日本橋方面に通じた。
伝えによれば、水神社が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祭ったという。
上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれる。また、このあたりは田園地帯で、清らかな神田上水が流れ、前には早稲田田んぼが広がり、後には目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は行楽の地であった。」境内紹介文より
「社殿に向かい左の銀杏の枝(直径約40センチメートル)が平成16年2月5日未明の大風(東京地方最大風速80.2m)で折れ、安政4年9月吉祥日に建立された鳥居を直撃した。これにより、鳥居の笠木部分が二つに折れて、鳥居の柱部分のみが残った状態となった。これに憂い、水神神社を崇敬する地域を代表し、関口町会並びに関水町会の両幹部が安全対応策を検討し、正八幡神社奉納金を以て新設することとなり、平成17年9月に新設再建された。
なお、損壊した鳥居の社殿に向かい右柱表面に「大門通り」裏面は不鮮明で読めず、左柱表面に「神田」裏面に「安政四年丁巳九月吉祥日建立」と刻まれていたことを記し、当時の奉納者の志を残す。
*安政四年(西暦1857年安政の大地震の二年後 本年より149年前)
平成十八年三月吉日」境内紹介文より
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