高石神社(市川)
京成中山駅から線路沿いにテクテク…木下街道を左へ曲がるとお墓…その奥に小高くこんもりと…そこが高石神社。白い鳥居の両脇のごつごつした岩の合間に石碑がにょきにょき。階段を十数段のぼると…おっと…正面に手水舎…足下の敷石は90度に曲がり、その先に社殿。
拝殿前の狛犬さんは新しそぉなのだけど、弊殿?通殿?の両脇で内側をむいた狛犬さんたちは、ちょいと古そげ…?お顔を拝見出来なくて、ちと残念。
広場(公園らしぃ)になってる境内の端に“神輿庫”があったのだけど、お祭り情報に辿り着けず………(2014.6撮影)
拝殿前の狛犬さんは新しそぉなのだけど、弊殿?通殿?の両脇で内側をむいた狛犬さんたちは、ちょいと古そげ…?お顔を拝見出来なくて、ちと残念。
広場(公園らしぃ)になってる境内の端に“神輿庫”があったのだけど、お祭り情報に辿り着けず………(2014.6撮影)
《御祭神》
神功皇后
《祭礼》
10月9日?
【由緒】
「南総大多木城主正木内膳亮時総が故あって奇石を得、これを祭ったので高石神と称した。また往古、鬼越村と一村であったが、分村して神号を村名としたという。本社の創建年代は不詳であるが、「中山法華経寺文書」永享三年(1431年)十二月二十四日の条と「折伏正義抄」永享十年(1438年)の条に当社の記載あり、その創建はこれ以前である事は分明である。」社伝より
江戸名所図会にも描かれている。
地名「高石神(たかいしがみ)」
…石器時代の遺物・石棒を祭っている高石神社に由来する。
ちなみに、「鬼高(おにだか)」は、「鬼越(おにごえ=鬼が出没するので鬼子居(おにごい)と呼ばれた)」に高石神の飛び地が多く混在していた地区で、大正8年の区画整理後両方の頭文字を地名にした。
高石神1-10 » Google MAP
コメントを残す