稲荷神社(田喜野井)
白砂利が敷き詰められた広場の一角に白い石造りの玉垣、狛犬、社殿。幟の朱が目に鮮やか。
建立記念碑にを読んで、ここから南南西に400mほどのところにある子神社の境内地と知る。
「七年祭り」まっただ中…その神輿御旅所として使われたとのことで、すでに御神輿の痕跡はまったくないのだけど、仮設トイレがずらり…
ぐるりと囲む道路より小高くなっていて、木も無く、見晴らし良すぎて、お参りしてるとなんだかちとはずかしぃ…
(2015.11撮影)
建立記念碑にを読んで、ここから南南西に400mほどのところにある子神社の境内地と知る。
「七年祭り」まっただ中…その神輿御旅所として使われたとのことで、すでに御神輿の痕跡はまったくないのだけど、仮設トイレがずらり…
ぐるりと囲む道路より小高くなっていて、木も無く、見晴らし良すぎて、お参りしてるとなんだかちとはずかしぃ…
(2015.11撮影)
《御祭神》
宇迦之御魂神
【由緒】
「古来より田喜野井子神社はこの地で人々の繁栄と発展を見守り、鎮守様として崇敬され、今日に至っております。
「七年まつり」には二宮神社(船橋三山)のほか千葉市・習志野市・八千代市の各市から神社8社の神輿・山車が参加する。
式年大祭の二宮神社神輿渡御は田若・藤若交代で幕張磯出式・遷御祭までの間2日に亘り執行される。式年大祭(三山の七年祭並びに幕張磯出式は馬加城主、千葉康胤の命での『二宮神社に於いて御礼祭』・『幕張に於いての安産祈願の磯出式』が始まりと伝えられている)は室町時代、文安2年(西暦1445年)からの伝統の継承が認められ、平成16年3月30日に千葉県指定無形民俗文化財に認定された事を記念して、田喜野井6丁目のこの地を子神社境内地として定め、稲荷神社を建立、式年大祭神輿渡御時の御旅所とし、式年大祭の永続と、子々孫々の安寧と繁栄を祈念するものである。
平成20年11月建立」境内 建立記念碑より
田喜野井6-37 » Google MAP
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