江東区創立十周年を記念して、昭和三三年に建立
江東区登録史跡
「梅屋数は、江戸時代から続く梅の名所でした。もとは本所理場(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵と称していましたが、庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。なかでも「臥龍梅」と名付けられた一株が有名で、これはまるで龍が大地に横たわっているように見えるところから、水戸光圏が今名したと伝えられています。また、八代将軍徳川吉宗も鷹狩の帰りにこの地を訪れました。江戸近郎の行楽地として、花の季節にはたくさんの人々でにぎわい、その様子は『江戸名所図会』「絵本江戸土産』(歌川広重)などの地誌にもとりあげられています。歌川広重はこの梅屋数だけで十数種の版画を描き、とくに「名所江戸百景」の中の、太い梅の古木を手前にあしらった錦絵は傑作のひとつにあげられます。明治四三年(九一〇、大雨により隅田川沿岸はほとんど水に浸り、亀戸・大島・砂村のほぼ全域が浸水しました。
この洪水により、梅屋敷のすべての梅街が枯れ、廃園となりました。:
★こに残る石標柱は、江東区創立十周年を記念して、昭和三三年に建てられたものです。
平成二一年三月
江東区教育委員会」案内板より
六字名号供養塔 伝 祐天書
「昭和四十一年に設けられた当時の説明板等に拠りますと、その由来は、元禄年間に祐天上人が千葉方面に往来の途中、この付近の川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て、非常に心を痛め、その霊を懇に回向されました。
その際に、これらの仏に戒名を与え
祐天上人、自らが筆を取って石にその戒名を記された供養塔をここに残されました。
後年、この供養塔を奉った祠が、この祐天堂であります。
それ以来、この付近に住む人々によって、水難除、安産、子供の守護の祠として崇め奉られ今日に至ります。(近年では、この祠に、交通安全祈願をなさる方も多いと聞きます。)
また、毎年七月二十四日を由縁の日と定め、祐天上人の遺徳を仰ぎ、 精霊の供養を営む日と定められてまいりました。
亀戸三丁目宮元町会
祐天堂保存会」案内板より
ワンコと一緒に楽しめるイタリアン レストラン
ワンコメニューも有り
山道、谷道、砂利道、獣道、迷い道…道無き道すら歩きたい…
あるときふと気がついた…大概、神社に行き当たる…ほっとする。深呼吸する。気持ちいぃ!
…まるで“スタンプラリー”するように《神社巡り》してることに若干の後ろめたさを感じないこともないけど…寛容に受け止めてくれてる気がする神社の雰囲気にひたすら感謝して…
きちんと手を合わせることもちょっとずつ覚え、神様の名前もちょっとずつ覚え、成り立ちや意味も調べるようになって…ますます楽しくなってる。
そして…“猫”さんに結構出会えるのも楽しみ。
…というわけで、
当サイトは、お散歩で訪れた神社を備忘録としてまとめているものです。
“神社散歩”管理人・ikiki