神社散歩 ときどきお寺 砂利の感触 木々のざわめき 凛とした風
東光寺(湯胸薬師)
Date of shooting: 2026.02.07, 2026.02.08
- 御本尊:
- 薬師如来像(湯胸薬師)
- 祭礼:
- 4月15日
- 御由緒:
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湯の峰温泉は人皇第十三代成務天皇の御代に発見せられ日本最古の温泉として知られる。
現東光寺が最初の噴出(湯元)です。其の湯口に湯花が化石し、御丈け二丈余の薬師如来の霊形と出現せられしを、仁徳天皇の御代印度より渡来せられたる裸形上人熊野三山苦行の砌り、霊夢に依り感得せられ、衆生の病苦を救う為に尊像の周囲に草庵を結び、当寺を開基せられる。又胸の穴より霊泉が湧き出でおりし故、湯胸薬師と呼び、此の地を湯胸と申せしが、後日今日の湯峯と転化をなす。又難病をお救い下さる薬師様として、遠近の人々から仰ぎ親しまれ、特に脳病(頭痛)には、あらたかにして各地から祈願信者が参詣に訪れられます。小栗判官も薬師如来の御加護を切に願い入湯、難病が全治せし事は有名で、世人の知るところであります。
大安斯くの如き熊野唯一の湯峯温泉霊場として伊勢七度熊野三度と申せし熊野詣の盛んな節には当寺に参詣し必ず一泊し身心共潔めてから本宮大社に詣るのが順序で有りました、其の習慣が残り毎年四月十五日例大祭には前々日十三日に奉仕する人々が潔斎の為訪れ湯登り神事が執り行われております。
合掌+《小栗十五代城主 小栗彦次郎平助重(判官)の由来について》
「悲しくも「非業の毒殺」という相州惨事(神奈川県)に端を発した小栗判官伝説は、室町時代の特筆される悲話として全国に広まり、脈々と平成の現代へ伝承されてきた。
その主人公「小栗判官」と称された人物は、常陸の国(茨城県)小栗十五代城主小栗彦次郎平助重で、室町時代の応永九年(一四〇二)のころに、十四代城主小栗満重の子として誕生したと伝えられている。
応永三十年(一四二三)八月二日、小栗城は鎌倉公方足利持氏の攻撃を受けて落城し、小栗主従は三河(愛知県)の一族等を頼って落ちる途中の応永三十三年(一四二六)三月十六日、藤沢辺は東俣野(横浜市戸塚区)で毒殺事件にまきこまれた助重は、照手姫の機知によって九死に一生を得ることができ、時宗総本山・無量光院清浄光寺(藤沢市)八世、他阿太空上人(遊行十四代)に助けられた。
だがその姿は無惨にも餓鬼阿弥という醜い姿に変わり果て、幸にして大空上人の配慮による土車(箱車)乗行となり熊野霊泉を目指した判官助重は、長い旅路を多くの人達の援助によって引かれたが、中でも狂女の風体に身を変えた照手姫が土車を先にたって引いた事は、小栗外伝熊野編の有名な物語の一つである。
なんとか長い苦難の旅路を経て湯の峯温泉(本宮町)に辿り着き、薬王山東光寺の薬師如来に平癒を祈願し、霊験あらたかな「つぼ湯」で療養した結果、湯の峯の功徳と熊野権現の大きな加護を賜り、ついに助重は蘇生して本復をとげるという伝説の舞台になったのも、この「湯の峯の霊泉つぼ湯」なのである。
その後助重は、一族の小栗貞重(愛知県)に身を寄せ、一族とともに小栗復興等に尽力し、その推進対策が展開されたという。
更に相州(神奈川県)での毒殺事件の首謀者・横山大膳の征伐と、藤沢山(藤沢市)に眠る父満重を初め十勇家臣への菩提を弔う追善に、追孝謝恩の供養を担った助重は、永享十二年(一四四〇)、足利持氏の遺子(春王丸・安王丸)が幕府に対して挙兵・結城氏朝(結城市)がこれを助けた結城合戦(一四四一)に、幕府側の武将として大いに奮戦し、その論功により、念願であった小栗領への復帰を達成することができた。
助重はその後十四年間十五代城主として君臨し、特に旧に倍した勢力の拡大が推進されたと伝えられている。
しかし助重が、享徳四年(一四五五)閏四月、古河公方足利成氏と小栗山麓(協和町)で大戦となり、五月一日、奮戦拙く破れ小栗城は再び落城し、これが小栗家の最後となった。
そして助重がこの小栗合戦で何処に落ちたのか、また何れで最期を遂げたのか、正確には解っていない…。
久寿二年(一一五五)の小栗家創設から、十五代に至る三百年という長き盛衰の歴史の中に生きた小栗武名は、ここに「滅亡」という非情な運命と共に無念にも儚く消えていった。
ただ、助重の菩提寺である桂北山向寺(協和町小栗)の過去帳には、助重の戒名が「天照院殿前金意大誉崇源大居士、八十五歳没」とあり、境内には「判官助重追善の碑」が建立されていて、没日が文明十八年(一四八六)丙午八月十六日と刻されている。
ここの餓鬼阿弥判官助重が、熊野信仰に名高き一遍上人(時宗開祖)の導きで、熊野権現の大きな加護と、併せてつぼ湯の霊泉に光明を拝した、熊野蘇生の名所である湯の峯の地を記念し、更に桓武平氏の流れを汲んだ偉大な城主であり、悲運の名将であった「小栗判官」こと、小栗十五代城主、小栗彦次郎平助重の遺徳を称え、その事跡を概略ながら顕彰するものである。
(伝)桓武平氏小栗系図
◯桓武天皇─葛原親王(天皇の四子 常陸太守)─高見王─高望(賜平姓 上総介)─国香(常陸大掾 鎮守府将軍)─貞盛(陸奥守 鎮守府将軍)─維幹(常陸大掾 多気大夫)─為幹(常陸大掾 陸奥守 鎮守府将軍)─重幹(上総介)─重家(小栗の祖 小栗五郎)─重義(五郎)─重成(十郎)─重廣(次郎 掃部介)─重朝(弥次郎 左衛門尉)─重信(弥次郎 左衛門尉)─頼重(弥次郎 左衛門尉)─重宗(弥次郎 左衛門尉)─重政(彦次郎 左衛門尉 遠江権守)─重貞(掃部介)─詮重(五郎 遠江守)─氏重(五郎)─基重(小次郎)─満重(孫次郎)─助重(彦次郎 判官)
新編常陸国誌・(浄土宗)一向過去帳・日本史年表・豪族時代の常総・(時宗)長生院文書・奥熊野秘話・参考
松竹株式会社
歌舞伎俳優(三代目)市川猿之助
小栗公等顕彰會
平成四年十月吉日
文責・郷土史研究会」境内掲示より(境内由緒書きより)
- 開門時間・お作法など:
- 拝観時間は、8〜18時頃(※本尊拝観は庫裏への申し込みが必要)
- 御神徳:
- 病気平癒
- 周辺スポット
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- 湯の峰温泉 つぼ湯
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含硫黄-Na-炭酸水素塩泉 92℃ 無色
営業時間:6~21時/30分交代制
※つぼ湯利用者は、公衆浴場の「一般湯」or「くすり湯」追加料金無しで一回入浴可能
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- 湯の峰温泉 公衆浴場
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一般湯(あつめ、ぬるめ)、くすり湯、家族湯
含硫黄-Na-炭酸水素塩泉 92℃ 無色
営業時間:6~21時(20時30分受付終了)
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- 湯の峰温泉 湯筒
- 約90度の熱湯が湧き出る源泉
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- 湯胸茶屋
- 営業時間:7~17時/日曜定休
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- 湯峯王子社跡
- 大日越え(熊野古道)の起終点
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- 大阿刀足尼の碑
- 湯の峰温泉を発見したとされる大阿刀足尼をたたえる石碑
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- 磨崖名号碑(伝一遍上人名号石)
- 和歌山県指定史跡
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- 湯垢離バー
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せいろ蒸しとクラフトビールのお店
営業時間:16~21時30分
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- 小栗判官ゆかりの史跡
- 室町時代の武将・小栗助重をモデルにした日本の説話・民俗伝承の主人公
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- お勧め宿
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- ジェイホッパーズ熊野湯峰 ゲストハウス
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源泉掛け流しの貸切温泉入り放題
熊野古道歩きが楽しめる田舎のゲストハウス- 《 お勧めポイント 》
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隅々までお掃除が行き届いていて、スタッフさんも明るくてフレンドリー。本当に気持ちのいいお宿。いつ入ってもいいお風呂(温泉)も、朝のおかゆサービスも、ありがたい。
今回は1泊だけだったけど、自炊&温泉入り放題で長逗留したら楽しそう。
- ヒトコト
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熊野本宮大社から湯の峰温泉への移動…大日越(熊野古道)を歩いて行くかどうか、ギリギリまで悩む。
旅の一つの目的でもある“熊野古道を歩く(…少しでも)”ではあるのだけど、コロナからずっとテレワークで、体力・筋力にちょいと不安があるのも事実。
最大の目的は、“初の伊勢&熊野三山を一通り(いちお)訪れ無事に帰る”…だ。
ここで無理をすると、旅の後半が不安。というわけで、当初の予定通りバスにて移動。
ほんの10分程度で、写真で何度も何度もみて憧れ続けた風景…湯の峰温泉に到着!
宿チェックインを済ませ、荷物を置いたら、さっそく『つぼ湯』の申し込み。受付一時中断後の再開すぐだったので、先客は1組。待ち時間、30分足らず…いいタイミング!
そして、初つぼ湯…あぁ、つぼ湯…
暗がり・狭い場所・水場・熱いお湯…苦手なもの満載で、実は結構不安だったのだけど、
神秘的な雰囲気と意外に明るい場内…お湯加減の調整に慣れてきたら、
不安なんて吹っ飛び、ただただ魅了され、「最高!」の一言しか出ない。
翌朝…つぼ湯ふたたび。
雪が降ってきた…寒さはさほど…花吹雪のような雪、そして湯けむり。東光寺の朱色の幟と五色幕が、鮮やか。
この景色…きっと死ぬまで忘れない。
関連お勧め本
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