厳島神社・抜弁天
“ルーツを辿る”神社散歩…出発の牛込柳町駅から、天祖神社、寶禄稲荷神社、正一位 八兵衛稲荷神社、正一位 出世稲荷神社と巡ってきて…ほんとは、稲荷鬼王神社、夫婦木神社、そして終点は生誕の地である百人町の社会保険中央総合病院…の予定だったのだけど…
あまりの蒸し暑さのせいか、くらくらしてきて、半分以下の距離で挫折…
結局、ここ“厳島神社・抜弁天”が、今回の終点に…
へろへろ状態で辿り着いたせいで、南の鳥居をくぐってから、危うくそのまま北へ抜けそうになっちまった…さすが、“抜弁天さま”。
って、改めて眺め回してみると、ちょいと不思議な光景。参道の入り口が南北にあり、その真ん中に、参道と平行して建てられた鳥居、その先に小さな厳島神社のお社。
厳島神社といえば、お堀…小さくとも、ぐるりとお堀に囲まれ、楚々としてる。
手水舎は、そのお堀の中にあり、龍(なんか、龍というか、ドラゴンといった方が似合う…かわいぃ)の口から出ている水が、ちょろちょろと溢れでて、きらきらとした清らかな流れを作ってる。そのまわりを鯉が泳ぎ…なんともいぃ風情。
気持ち的には大復活…がしかし、体ついてこず…次の機会には、逆流でリベンジ かな。(2014.6撮影)
あまりの蒸し暑さのせいか、くらくらしてきて、半分以下の距離で挫折…
結局、ここ“厳島神社・抜弁天”が、今回の終点に…
へろへろ状態で辿り着いたせいで、南の鳥居をくぐってから、危うくそのまま北へ抜けそうになっちまった…さすが、“抜弁天さま”。
って、改めて眺め回してみると、ちょいと不思議な光景。参道の入り口が南北にあり、その真ん中に、参道と平行して建てられた鳥居、その先に小さな厳島神社のお社。
厳島神社といえば、お堀…小さくとも、ぐるりとお堀に囲まれ、楚々としてる。
手水舎は、そのお堀の中にあり、龍(なんか、龍というか、ドラゴンといった方が似合う…かわいぃ)の口から出ている水が、ちょろちょろと溢れでて、きらきらとした清らかな流れを作ってる。そのまわりを鯉が泳ぎ…なんともいぃ風情。
気持ち的には大復活…がしかし、体ついてこず…次の機会には、逆流でリベンジ かな。(2014.6撮影)
«Каралеўскі рытуал»
市杵島姫命
[Прападобнай]
「一、由来
白河天皇の御代、応徳三年(1086)鎮守府将軍・源義家公は、後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳嶋神社の始めと伝えられている。(豊多摩郡誌参照)
二、江戸時代
参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山の手七福神を構成する弁財天でもある。
江戸時代の地誌、大久保絵図(安政四年=1857)には、別当二尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。
徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」により、この附近に二万五千坪の犬小屋が設けられていた」境内由緒書きより
余丁町8-5 » Google MAP
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