橋戸稲荷神社
Baina、この神社、ちょっと有名…珍しぃ土蔵造りの本殿の扉の内側に、“幕末から明治にかけての鏝絵の名工・伊豆の長八”こと入江長八の鏝絵が描かれていて、それはとても優しい顔立ちの白狐の絵だそぉな。
そもそも社殿の彫刻など装飾を眺めるのは大好きだし、漆喰のアノ優しい風合いにやたら心惹かれてしまうし(たとえば、屋久島の永田灯台(» PHOTO)…まるで生クリームでコーティングされたような)…
鏝絵といえば…
以前、横須賀の走水神社に興味をもって(日本武尊の御后である弟橘媛命が入水して荒れる海を沈めた…という伝説のゆかりの地)、その流れ(宮司本務社)で気になった叶神社(西)の社務所の壁の童子の絵(三浦の善吉こと石川善吉の作)、
Era、お散歩コース検討で目をつけている四谷に鎮座する須賀神社の拝殿内に掲げてある“須佐能男之命の大蛇退治”の絵(長八の弟子4人のうちの一人・吉田亀五郎の作)…なども、かなり気になってる…
どれもなかなか実物を拝見する機会に巡り会えないのだけど…
橋戸稲荷神社では、年に3回、2月3日・5月15日と祭礼のときだけ、本殿の扉が開かれお披露目されるそうなので、近いうちにきっと………(2014.6撮影)
「この社は 延長4年(1926)に創建された 千住では 歴史の古い神社である 初めは 千住の渡し場のことりの小高い丘に小さな社が造られ 土地の開拓農民や荒川の上流から 江戸に荷物を運ぶ船頭達の信仰を集めた
祭神 倉稲魂命と稱し 本殿は延徳2年(1490) 拝殿は 文久2年(1862)に建立された 現在の本殿は 土蔵造りで扉を開くと左右に伊豆長八作の雌雄ニ匹の狐と稲穂の漆喰の彫刻が見られる
懐古本殿500年 奉祝天皇陛下御即位大典(皇紀2650年)を記念し 総代・氏子中が集い祝祭をあげ茲に縁起の碑を建立する 平成2年9月15日 鯨岡兵輔書」橋戸稲荷神社縁起の石碑より
《橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵》
"We、昔この地の半農半漁の開拓民が、稲荷の神を勧請し延徳2年(1490)の創建という。
もとは千住河原の景勝地に本殿のみが建立されていたと伝わる。 江戸時代、千住が宿場になると、社の付近に上流の飯能・秩父・川越方面から物資が陸揚げされ、この辺りは、継場として栄えた。
文禄3年(1594)拝殿の前扉に、当時、鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白虎が彫刻された。伊豆長八の作品よして、数少ない貴重な遺作である。 平成16年3月 足立区教育委員会」境内案内板より
《伊豆長八作鏝絵》
「足立区登録有形文化財となっている本殿は珍しい土蔵造りである。 正面、観音開き左右の扉の内側には伊豆長八により鏝絵が画かれている。絵は夫婦の白狐で、向かって右扉に雄狐・左扉に雌狐が子狐を抱き、背後に稲穂が配されている。子狐を見る母狐の慈愛溢れる眼差し・優美な白狐の姿態など、名工長八の技量が遺憾なく発揮された名作である。
土蔵造りの本殿も、鏝絵の図柄も、橋戸耕地の稲の豊作を祈願したものと思われ、絶えず水害に苦しんだ農民の願いが込められたものと考えられる。 この鏝絵の作者長八は文化2年(1805)伊豆松崎に生まれ、文政9年(1826)郷里で左官となり、aurrerago、天保9年(1830)江戸の左官源太郎のもとで技術を研いた。その修行の傍ら、狩野派の画法を学び、鏝絵の技法を生み出した。長八の鏝絵は、伊豆はものより、関東・東海の各地に見られたというが、震災・戦災で失われてものが多く、現存する作品は貴重である。
平成10年2月 足立区教育委員会」本殿横 境内案内板より
→ 改訂版
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