ሃኩሳን መቅደስ
その大きな鳥居のすぐ隣のマンション…窓から鳥居の笠木が見下ろせるんだな…すてきで、不思議で…うらやましぃぞ。
鳥居のすぐ先に社務所があって、その向かいに、どっしりとした瓦屋根の手水舎。
そして社殿…濃茶の素木で、しっとり素敵。
狛犬さんたちは、なぜか目だけが鮮やかに金…いかついお顔だとこわいとこだけど、かなりおちゃめ顔なので、なんだか微笑ましい。
社殿と社務所を繋ぐ廊下の下をくぐった先に…社務所の裏手に富士塚。この“富士山”に登れるのは、6月のあじさいまつりの時だけだそうな。
って、こちらの境内には、あちこちにあじさいが植えられていて…
鮮やかな葉がだいぶ大きくなってる…そろそろ新芽?…じわじわと、“準備中” だね。
社殿の正面から左手に回り込むと“関東松尾神社”。昭和28年に改修されたという社殿は、白いコンクリートと瓦屋根。扉は薄いグレー。
ブロック塀にはめ込まれた社号板(?)…ちょっと不思議な雰囲気。古い学校、小さい体育館みたいな?
でも…うん、丈夫そう。
参道、右手は広い駐車場、左手には境内社が並んでる。
八幡神社、福受稲荷神社、伏見稲荷社、三峯・玉津島・天満天神・山王・住吉の合祀社。
あじさい咲き乱れる季節に再訪したいな…富士塚にも登りたい!(2017.3撮影)
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いい天気!そうだ、紫陽花みにいこぉ〜!!
…と、急に思い立って、仕事行く前に白山神社へ。
平日だからゆっくり見られるだろ…なんて思ったのは、甘かった。
ቢሆንም、「あじさい“まつり”」だもん…誰もいなかったら、そりゃま寂しい…
お参りも5分ほどで出来たし、
念願の“富士塚”登りも、列にはなっていたけど、結構じっくりゆっくり満喫出来だし…
ና、何より、紫陽花きれぇ〜
早々に咲き終わっているもの、ちょうど見頃な満開のもの、ちょこちょこ咲き始めてるもの、まだ蕾なもの…
花びらの大きいもの、小さいもの…
真っ白、ほのピンク、紫、青…グラデーションになってたり、色がちょっとした模様になってたり…
紫陽花って、こんなに様々だったんだ…知っていたようで知らなかった“紫陽花のいろんな顔”に出会えて、大好きになったよ…
(2017.6撮影)
「 当社人皇六十二代村上天皇天暦二年(948)九月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。建武四年(1338)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和二年(1616)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安四年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現在地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文六年(1677)九月二十九日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。元禄三年(1690)正月二十九日旧幕府より社領三十石寄附之あり。右朱印元禄六年(1693)九月二十九日戸田能登守相渡さる。元禄十六年(1703)十一月二十九日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704)六月十四日加藤越中守掛にて仮殿手当として金五百両桧五千挺寄附あり。再建せられたるも享保三年(1719)三月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治三十二年拝殿建設、昭和八年改修し同九年九月十八日盛大に正遷座大祭施行す。(なお白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり。)当社は明治元年勅祭神社に準じられ(準勅祭神社)、東京十社の一つである。」境内由緒書より
御神徳
「一、御祭神 菊理姫様(結びの神)、
伊弉諾命、伊弉冉命様(修理固成の神)に依り、
縁結び・商談成立(サラリーマン諸氏の信仰を多く集めております)
商売繁昌・受験・家内安全
その他広義に亘る仲介が成されます。
一、航海安全をお守り下さる為、近年は海外旅行者に人気があり、無事帰国の際必ず御礼参拝においでになります。
一、霊峰白山に起源する「水の神」「農耕の神」でもあり、火防の神としてお守り下さいます。
一、御本宮(加賀一の宮)の修験者の一人が荒行に耐え成し遂げたと伝えられるむし歯(特に痛みを鎮める)に関するもの
昭和初期迄お守りに房楊枝を添えたものが参拝者に配られていました。
白山神社」境内案内板より
境内社:関東松尾神社
祭神 大山咋命、中津島姫命
例大祭 11月吉日
「当社は関東松尾神社と称し、江戸時代白山神社の境内地に京都嵐山松尾大社の御分霊を奉勧請す。
昭和28年6月酒類関係業者により、老朽化せし御社を改修し盛大に遷座祭を施行す。
本社たる松尾大社は大宝元年京都嵐山北松尾山に鎮座せられ、京都の大社にて旧制官幣大社である。
この神酒造の神として世に著れ、酒蔵札にも『奉祭祀 秦氏神・松尾大明神 常盤堅盤夜(乃)守(利)日(乃)護(利)幸賜』とあり、酒造家の尊信が頗る厚く、現に遠近より酒造・酒販業者の賽する者甚だ多い。
この勧請社たる当社も種類関係業の尊崇厚く、毎年新嘗祭なる11月に吉日を選んで大祭が厳修せられている。
関東松尾神社護持会」境内由緒書きより
境内社:八幡神社
祭神 誉田別命、八幡太郎義家公
例大祭 8月15日
「 当社は人皇七十代後冷泉帝永承六年(1051)四月奥州安部の一統王威を掠む、是に拠て征伐勅宣を蒙り伊豫守源頼義、御嫡男八幡太郎義家両大将軍は官軍を率て発向したもう、当所は其の時の奥州街道なり。然るに敵将此の辺に兵を伏駒を込数千の薪を集め焼亡さんと計るとき、両大将当社前の桜木に御旗を立て岩清水八幡宮を奉勧請御祈誓ありて後、一戦に敵を討捕し討伐後ここに感謝の意をもって八幡神社を創建せらる。
白山神社の境内の地主神に在りて御神徳顕著にして崇敬者多し。昭和五十年老朽化せし社殿改修し同年十二月十日遷座祭施行す(なお白山神社氏子中の協賛による)
御神木 旗桜
この桜木は旗桜と言い、八幡太郎義家御旗を立給いて祈願せられた時の桜木にて、(古木は社務所に)若木を育てたものであり、花の真に旗の形なる花弁ある名花なり。」境内由緒書より
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