鳥越神社
鳥居をくぐった先に、さらに鳥居があって、小さな社殿…一瞬こちらが鳥越神社の拝殿かと思っちゃったのだけど、寄っていくと、それは境内社の“福寿神社”で、鳥越神社の拝殿は、左手奥にどぉんとあった…
拝殿は、玉垣も壁も屋根の裏も、fehér。すごくきれぇ…
Komainu Mr.、頭小さく筋肉隆々…個性的。もう一頭の狛犬さん&御神輿蔵(たぶん)の前では、一人の職人さん(たぶん)が黙々と何やら作業中…おまつりの準備かな?はしごのような形状のもの、組み立ててる…
拝殿の右手前の社務所のビルは、うっすらピンクがかった壁で、造りは一昔前の学校みたい。こぉいうの、好きだぁ。
拝殿と社務所を繋ぐ通路は、下がくぐれるようになっていて、そこのすみには薪?丸太?のような木が積んであって…ちょいと気になる。így、その先に抜けることが出来るようなのでちょいとお邪魔してみたら、裏口にも小さめな鳥居が…なんか、たのしぃ…
拝殿の逆サイドに行ってみると、遊歩道的な参道がのびていて、境内社“志志岐神社”が品良く鎮座。その背後に、本殿の屋根が見える。キリリとした粋な佇まい。
そして…境内社“福寿神社”の前に戻ってきた…石の鳥居の背後に、朱い鳥居が三本、重ねて建てられてた…おぉ、お稲荷さんだったのね。
その鳥居の後ろに、石の形をそのまま活かしたって感じの素朴で素敵な社号標…その足元に、なんともかわいらしぃ神狐さん。
社殿の横の棚の中には、小さい鳥居と小さい神狐さんがきれいに収められてる。その棚の前には、ちょっと傷みが激しい神狐さんたち。きっと、Réges-rég、社殿の前に置かれてたんだろな。
こちらの本社神輿は、とても大きくて立派らしぃ…3週間後、見に来られるだろか…(2014.5撮影)
「当神社は、白雉2年(651)の創建。日本武尊、天児屋根命、徳川家康を合祀している。社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。később、永承年間(1046-52)欧州の安部貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義・義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名づけた。később、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。is、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前4-16附近)は、関東大震災で焼失したため大正14年に当社に合祀された。
例大祭は、毎年6月9日前後の日曜。千貫神輿といわれる大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑わい、また正月6日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有名である。Az övezetekből
境内社〈福寿神社〉
「例祭日:3月15日・10月25日
祭神:
倉稲魂命…お稲荷さんと一般に言われ、福徳開運十種の徳をそなえ、農工商、衣食住の守護神として、信仰の厚い神様です。
大黒天神・恵比寿神…七福神の内の二神で福徳開運、延寿、医療、知恵、善心を司どる神様です。
菅原道真公(管公)…文章博士、学問の神様として広く信仰があり、天神様と尊称されています。九州太宰府天満宮の飛梅のお話は、あまりにも有名です。Az övezetekből
境内社〈志志岐神社〉
「例祭日:5月15日
祭神:豊玉姫命
由緒:当社は、その本社対馬國下懸郡久田村にあり、往昔より安産を守る神として崇められる。
御祭神豊玉姫命は、海神の鸕鷀の翼を用い草として葺けるに未だ葺き合えざるに安産し給うに依りて、御子鸕鷀葺不合尊と申奉る。此の故事により対馬國人本社を安産の神として崇め奉るに依りて、藩主宗対馬守、寛永年間にその邸内社を現在の台東一丁目二番辺りに勧請し、屋敷の守護神となし、安産の神として諸人に参拝せしめられたり。産婦社域内の御石を頂き安産を祈り、お礼に御石を納め箒を納める風習あり。
平成13年鳥越神社御鎮座1350年を奉祝し、其の社を境内末社として鎮め祀る。Az övezetekből
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