盬竃神社(塩釜神社)
あれ?あれれ?もっと鬱蒼としてるのでは?“予習”とのギャップに、激しく戸惑う…
背の高い木々はツンツンに枝を落とされ、バッツリと伐採されちゃってるものも…あまりに明るすぎて、なんだか落ち着かないってくらい………
今まで、木々の影に隠れていたような、崩れ落ちた何か(灯籠?狛犬?)が境内のあちこち転がっているのも、やたらよく見えてしまって…なんとも切ない。
Aedes、ぐるりとビルに囲まれていて、本殿はまったく見えないのだけど…横のビルの合間から、それらしい向拝がちらりと見える。その下にはしごのようなものが倒れていたりして、やっぱり荒れてるもよぉ。
氏子のない崇敬神社だそうで、さらに元旦以外は無人ということもあり、維持管理なかなか難しいのかも…手前の公園(東京初の町立公園)共々、“お掃除”はされてるみたいだけど………(2014.5撮影)
背の高い木々はツンツンに枝を落とされ、バッツリと伐採されちゃってるものも…あまりに明るすぎて、なんだか落ち着かないってくらい………
今まで、木々の影に隠れていたような、崩れ落ちた何か(灯籠?狛犬?)が境内のあちこち転がっているのも、やたらよく見えてしまって…なんとも切ない。
Aedes、ぐるりとビルに囲まれていて、本殿はまったく見えないのだけど…横のビルの合間から、それらしい向拝がちらりと見える。その下にはしごのようなものが倒れていたりして、やっぱり荒れてるもよぉ。
氏子のない崇敬神社だそうで、さらに元旦以外は無人ということもあり、維持管理なかなか難しいのかも…手前の公園(東京初の町立公園)共々、“お掃除”はされてるみたいだけど………(2014.5撮影)
"Sanctuarium tuum '
鹽土老翁、 武甕槌命、 Tsunetsu mandatum
'Tribuisti "
5月10日
[Venerabiles]
塩釜公園の沿革
"Edo era、この公園の場所は、仙台藩主伊達家の中屋敷内にあり、盬竃(しおがま)神社の境内になっていました。
この神社は、はじめ元禄8年(1695)に今の東新橋にあった伊達家上屋敷内に領地の盬竃神社本社から分霊を迎えて祀(まつ)られていたものが、安政3年(1856)に移転され、邸内社として私に祀っていました。その後一般の人々にも参拝を許し、本社に同じく安産の神様として信仰を受けました。
明治になり、大名屋敷がなくなってからも神社は存続しましたが、大正12年の関東大震災の後、災害時の避難場所の確保と町民の安息や子供の遊び場をかねて、昭和5年に東京で唯一の町立盬竃公園として開園しました。
その後昭和46年(※)、港区が区立塩釜公園として整備しましたが、敷地拡張に伴い、この度、全面改造を行いました。
昭和59年12月 東京都港区」(公園内解説板より)
※昭和20年(1945)5月、空襲により焼失
新橋5-19-7 » Google map
"Tabernus in spatio ambiente"
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