富士浅間大神[元富士神社]
湯島天神の観梅を堪能してから西へ西へ…春日通りをのんびり歩いて桜木神社経由で後楽園駅まで歩こう計画の途中、ちょっと奥まった先に小さなお社。ここは『駒込富士神社』の旧社地だそうで…
湯島天神の観梅を堪能してから西へ西へ…春日通りをのんびり歩いて桜木神社経由で後楽園駅まで歩こう計画の途中、ちょっと奥まった先に小さなお社。ここは『駒込富士神社』の旧社地だそうで…
広く静か、登ってり下ったり、池や滝、大木しげる素敵な公園…そして、緑の中の鮮やかな朱色のお堂が一際目立ってる…
住宅地の中、普通だったり住む人しか通らないよな路地が、実は参道。その道の曲がり口に社号標が立っていて、その奥に石の鳥居が見える。参道脇に、取り囲むお家の門があるのだけど、鳥居をくぐった先にも、よそのお宅の門があったりして…なんか、うらやましぃ
大通りから一本奥へ入った、住宅街の一角。細い道を挟んだお隣の区立交流館からは三味線の音。日常の中に溶け込んだこじんまりとしたお社。
病気平癒の占術「六三除け」の御祈祷をやってもらえるそうな…
雷が鳴る中での参拝だったせいか、境内に限らずそのまわりでも誰にも会わず、そのせいか、薄暗い印象を持ってしまったのだけど…水盤が、素敵。それと、狛犬さんがお腹ぽっこりだったりしてちょいとお茶目…
昔、高校受験の合格祈願を兼ね、初詣に訪れて以来。その時は混雑していたし、境内をゆっくり見て回れる状況ではなかったし…ほぼ初見。
程よい広さで、落ち着きのあるいぃお社。
境内にある石造りの臥牛2頭…
神田神社〜湯島天神の途中、横道20mの場所にある神社で、由緒も素敵なのだけれど、ホテル街のまっただ中にあるせいか、人影無く…
一人寂しく参拝していたら、社務所の二階から、異音(ぴぽぴぽ みたいな電子音)が響き渡り…え?!参拝者が来ると知らせるのか?とか!?
「大正13年(1924年)に京都下鴨神社にあった社殿を譲り受けて移築し、翌14年に伏見稲荷大社から白玉稲荷を勧請して椿山荘の守護神としました。 平成元年、現在地に新社殿を建立し、鎮座いたしました。」境内説明書きより 椿山荘庭園内:→ 庭園詳細へ
「創建の年代は明かでない。 『江戸砂子』には、「上水開けてより関口水門の守護神なり。とある。 わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水が開いた。井頭池からの流れを、目白台下の現大滝橋あたりに、堰(大洗堰)を築き、水位をあげて上水を神田、日本橋方面に通じた。 伝えによれば、水神社が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祭ったという。 上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれる。tiež、このあたりは田園地帯で、清らかな神田上水が流れ、前には早稲田田んぼが広がり、後には目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は行楽の地であった。」境内紹介文より 「社殿に向かい左の銀杏の枝(直径約40センチメートル)が平成16年2月5日未明の大風(東京地方最大風速80.2m)で折れ、安政4年9月吉祥日に建立された鳥居を直撃した。これにより、鳥居の笠木部分が二つに折れて、鳥居の柱部分のみが残った状態となった。これに憂い、水神神社を崇敬する地域を代表し、関口町会並びに関水町会の両幹部が安全対応策を検討し、正八幡神社奉納金を以て新設することとなり、平成17年9月に新設再建された。 Je potrebné poznamenať,、損壊した鳥居の社殿に向かい右柱表面に「大門通り」裏面は不鮮明で読めず、左柱表面に「神田」裏面に「安政四年丁巳九月吉祥日建立」と刻まれていたことを記し、当時の奉納者の志を残す。 *安政四年(西暦1857年安政の大地震の二年後 本年より149年前) 平成十八年三月吉日」境内紹介文より
社殿や門の鮮やかさ、乙女稲荷に続く千本鳥居が、美しい。4〜5月にかけて境内を埋め尽くすツツジ(約100種3000株)は、とにかく見事。…という季節に訪れてから、7年ぶりの参拝…緑が深く、社殿や鳥居の朱が際立つ秋も素敵…
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