讃岐金刀比羅宮東京分社
雷が鳴る中での参拝だったせいか、境内に限らずそのまわりでも誰にも会わず、そのせいか、薄暗い印象を持ってしまったのだけど…水盤が、素敵。それと、狛犬さんがお腹ぽっこりだったりしてちょいとお茶目。
隣接の駐車場の一角にあるお稲荷さんは、玉垣や階段は新しそぉ。でも、社殿の風合いはいぃ感じ。
駐車場を奥に進むとこんぴらさんの本殿を横から間近に眺められるようになっているのだけど、雲行きがかなり怪しくなってきたので、今回は早めに退散。
青空広がる天気のいぃ日にリベンジしよっと。水道橋駅から歩いてすぐ(10分弱くらい)なので、気軽に立ち寄れるのは、ありがたい。(2013.8撮影)
隣接の駐車場の一角にあるお稲荷さんは、玉垣や階段は新しそぉ。でも、社殿の風合いはいぃ感じ。
駐車場を奥に進むとこんぴらさんの本殿を横から間近に眺められるようになっているのだけど、雲行きがかなり怪しくなってきたので、今回は早めに退散。
青空広がる天気のいぃ日にリベンジしよっと。水道橋駅から歩いてすぐ(10分弱くらい)なので、気軽に立ち寄れるのは、ありがたい。(2013.8撮影)
《御祭神》
大物主神、倉稲魂神
《祭礼》
5月20日
【由緒】
「下板橋宿の板橋市左衛門が所有地内に金毘羅大権現を観請した。
明治13年(1880)、無格社・金刀比羅神社として公認された。
昭和30年代になり、崇敬者の要望により、松平頼朝氏から寄進された現社地に金比羅宮直轄境外末社・東京分社として再興することになった。
ここは、高松藩松平家上屋敷の邸内社として寛政5年(1973)に歓請された金刀比羅宮が祀られていた場所である。」文京区 観光案内より
《松平賴重候下屋敷の跡》
「この地一帯(東京都立工芸高校 宝生能楽堂 金刀比羅宮東京分社)は高松松平家下屋敷のあったところである。
高松松平家は松平賴重を藩祖とし徳川光圀とは兄弟の関係にあった。
爾来現十三代の賴明氏に到るまで松平家は四国にあって教育と経済の振興に力を尽くして来た。
特筆すべきは十二代賴寿氏で 氏は貴族院議長(1937〜1944)として名声をとどめ 他方大正大地震の後、旧本郷区の要請で本郷学園を創設し、我が国教育面に大いなる貢献をした」境内 文京区歴史研究会の解説板より
境内社:水道橋稲荷社
本郷1-5-11 » Google MAP
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