満足稲荷神社(千駄木)
上野から根津神社へお散歩し、さらに谷中銀座へまわろぉとする途中で寄り道。
住宅地の中、普通だったり住む人しか通らないよな路地が、実は参道。その道の曲がり口に社号標が立っていて、その奥に石の鳥居が見える。参道脇に、取り囲むお家の門があるのだけど、鳥居をくぐった先にも、よそのお宅の門があったりして…なんか、うらやましぃ。
鳥居をくぐると、左手に境内が広がっていて、遊具なんかがあったり、社殿は瓦屋根だったり、なんかほのぼのとした雰囲気。
いかつい雰囲気の狛犬さんの姿もかわいらしく見えてしまうくらい…
居心地よいな…そして、つぶやいてみる…“満足、満足”
(2015.9撮影)
住宅地の中、普通だったり住む人しか通らないよな路地が、実は参道。その道の曲がり口に社号標が立っていて、その奥に石の鳥居が見える。参道脇に、取り囲むお家の門があるのだけど、鳥居をくぐった先にも、よそのお宅の門があったりして…なんか、うらやましぃ。
鳥居をくぐると、左手に境内が広がっていて、遊具なんかがあったり、社殿は瓦屋根だったり、なんかほのぼのとした雰囲気。
いかつい雰囲気の狛犬さんの姿もかわいらしく見えてしまうくらい…
居心地よいな…そして、つぶやいてみる…“満足、満足”
(2015.9撮影)
《御祭神》
倉稲魂命
【由緒】
「この稲荷神社は通称“満足稲荷”とか“東山稲荷”と呼ばれている。祭神は稲をつかさどる神、倉稲魂命である。江戸時代、当地は上野寛永寺領内、輪王寺の御薪林で、東山と呼ばれていた。明和4年(1767)正月、御薪林の住民が京都伏見稲荷本宮より、宮司羽倉摂津守信郷から御神体を授かり、当地に勧進鎮座したのがこの社のおこりである。
満足稲荷と呼ばれたのは、豊臣秀吉が文禄年間(1592〜1596)、伏見桃山城に守護神として、伏見稲荷を鎮座してから幸運に恵まれ、“満足、満足”と呼称した故事による。たび重なる戦災、自然災害で、社殿の破損が進んだため、町内の崇敬者により、昭和27年(1952)今日のような社殿が造営復興された。神社には、高村光雲作の神輿や江戸期の絵馬などが保存され、境内も江戸の面影を今日に伝えている。
文京区教育委員会 平成12年3月」境内案内板より
千駄木5-2-8 » Google MAP
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