豊潤稲荷神社
壁には、建て替え前のお社の“千木”と“鬼板”が取り付けているのが、個性的。(2018.5撮影)
「豊潤稲荷神社は、これまでは関東大震災で社殿が焼失し、昭和5年(1930)に神田市場関係者を中心に再建されたということが伝えられてきたが、平成17年の社殿移転時に内宮・内陣より『南無妙法蓮華経』『大正六年十二月二十二日』などと書かれた題目書付と『稲荷山』と書かれた軸は発見されたことやその後の調査から、大正6年12月22日に勧請された稲荷であるということが判明した。関係者によれば、大正から昭和初期くらいまではこの近辺で日蓮宗を信仰していた人が複数いたといい、その関係は明確ではないが、当時交流のあった宗教者たちが何らかのかたちで稲荷の勧請に関わっていたのかもしれない。また一説には、この近辺の多いな商家に祀られていた稲荷社が震災で焼失したため、当社に合祀したとも伝えられている。須田町中部町会(神田須田町一丁目の一部)は、江戸時代から神田市場が開かれ、関係者が多く住んだ地域であった。関東大震災で市場が焼けてからは、昭和3〜10年までの間に市場は完全に秋葉原に移転したが、それでも豊潤稲荷は町会に残った人々を中心に、また転居した人々からも信仰を集めていた。戦災の被害は免れたが、平成に入り社殿の老朽化が進んだため、平成4年に鳥居・玉垣、同7年に社殿の修復を行い、還御遷座祭が行われた。しかし、平成15年より現在地のマンション建て替えに伴って、以前より通り側にせり出すような配置となったため、再び社殿を移動、造営し直すことになった。新社殿は平成18年5月に完成し、社殿落成式と遷座祭が行われた。現在は毎年2月初午近くの日曜日に祭礼をしているが、節分前になる場合は調整している。当日は神田神社から神職を招いて神事が行われ、町会関係者など約30〜40人が参列する。また賽銭泥棒に悩まされた時期があり、平成7年に『賽銭チケット』を考案して1枚100円・10枚綴りで販売したことがあった。参拝者はそれを購入して、チケットを賽銭箱に入れるというシステムであったが、その煩雑さから平成12年に廃止された。現在は社殿が表通りに面して建てられており、町会関係者の目も行き届くようになり、防犯対策を徹底している。」“千代田の稲荷”(2008 千代田区教育委員会)より
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