松尾神社(神田)
ビルの谷間で日があたってないせいか、玉垣の上のトゲトゲのせいか、大きなカギで閉ざされている門のせいか…何やら、重苦しい雰囲気。
…と思ったものの、門に近づいてみると、きれいにお掃除された境内や一箇所にきちんと整理してまとめられた掃除道具、手入れされた樹木、覆屋にあけられた樹のための穴…大事にされてる感じがひしひしと…
由緒などが書かれたものがなく、訪れたときは何もわからず、“松尾”という社名からお酒の神様なのかとか思っていたのだけど…
後日、こちらの神社についての記述のある書籍を発見。お稲荷さんだったんだ…
いろんな意味でちょっと不思議なお社だけど、長く大切にされ続けているということ、それが何よりだと思ったりするのです…(2018.5撮影)
「現在は『松尾神社』と称されているが、『神田神社明細』(明治13年 東京都公文書館蔵)によれば、祭神は“宇迦之御魂命”“松尾稲荷ト称ス”とあり、稲荷神を祀る神社であったこと、および明治6年(1873)に神田神社の兼務社となっていることが記されている。また同記録には『明治8年仝町青物市場中ヨリ再建』と記されており、かつて神田多町に所在した青物市場に関係した人々に信仰されていたこと、またその後も市場関係者が多く居住した神田多町二丁目において、地域の守護神・同業者の守護神として祀られてきたことがうかがえる。記録では明治25年に(市道整備の影響と推測される)一時的に神田神社に遷座している。こうした記録から松尾神社の創建時の所在地や移転については不明な点があるが、明治・大正期間に社殿が三〜四度移転していたようであり、昭和5年(1930)時点には現在地に社殿を構えていて、戦災を免れたと伝えられている。また、近隣の一八稲荷神社が社殿を再建するときに一時御神体を預かっていたこともある。松尾神社維持会は昭和28年に結成されて現在に至っている。
現在では、『宇迦之御魂命』のほか、『大山咋神』『中津島姫命』が合祀されており、京都の松尾大社と同社名であることから少なからずの縁があるとして、松尾神社維持会は年に一度、松尾大社に詣でている。
明治期には2月の二の午が祭日と記されているが、現在は毎年10月中旬から11月初旬の土曜日の午前に計画され、神田神社から神職を招いて神事が行われている。松尾神社維持会をはじめ、近隣町会関係者などが参列する。」“千代田の稲荷”(2008 千代田区教育委員会)より
松尾神社から東へ20mほど、多町大通りに面して建つ家屋。
木造3階建、切妻造、平入で、正面は出桁造の構えをとり、北妻面は窓の少ない防火に配慮した造り。東京の下町における震災復興期の和風町家として貴重。
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