目黒 大鳥神社
木肌の茶に金色の装飾、差し色は黒。2017年に、保存修復補強工事が行われたということで、とても美しい。これからまた年月を経て、いぃ感じの風合いになっていくことでしょう。
境内に学術的にも貴重な大赤樫があったそうで、今は石碑だけが残っているのだけど、境内には、立派な樹々が数本気持ちいい木陰を作っていて、その大赤樫がどれだけの巨木だったのか、かなり気になるところ。現存してたら、圧巻の眺めだったんだろな…
神楽殿の中から、なにやら音楽が…練習中らしい。ちょっとうらやましい。(2018.4撮影)
「景行天皇の御代(71〜130)当所に国常立尊を祀った社がありました。景行天皇の皇子である日本武尊は、天皇の命令で熊襲を討ち、その後、東国の蝦夷を平定しました。
この東夷征伐の折当社に立寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、また部下の『目の病』の治らんことをお願いなされたところ、東夷を平定し、部下の目の病も治ったことから、当社を盲神と称え、手近に持っておられた十握剣を当社に献って神恩に感謝されました。この剣が天武雲剣で、現在当社の社宝となっております。
東征の後、近江伊吹山の妖賊を討伐になられましたが、病を得て薨ぜられました。日本書紀に『尊の亡骸を伊勢の能褒野に葬したところ、その陵より尊の霊が大きな白鳥となられ倭国を指して飛ばれ、倭の琴弾原、河内の舊市邑に留り、その後、天に上られた』とあり、このことから日本武尊を鳥明神と申す訳です。当社の社伝によると『尊の霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る』とあり、大同元年(806)社殿が造営されました。当社の社紋が鳳の紋を用いているのはこのためです。江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されております。」境内案内版より
《酉の市(八つ頭と熊手の由来)》
「当社の酉の市は都内でも古く、江戸時代に始まります。酉の市が毎年11月の『酉の日』に行われるのは、尊の熊襲討伐の出発日が酉の日だった為その日を祭日としました。酉の日の当日、御神前に幣帛として『八つ頭』と『熊手』を奉献します。『八つ頭』は尊が東征の時、八族の各頭目を平定された御功業を具象化したもので、『熊手』は尊が焼津で焼討ちに遣われた時、薙ぎ倒した草を当時武器であった熊手を持ってかき集めさせ、その火を防ぎ、向火をもって賊を平らげ、九死に一生を得た事を偲び奉るためのものです。ここから、古来より、『八つ頭』は人の頭に立つように出世できるという縁起と結びつき、『熊手』は家内に宝を掻き込むという意味で縁起物として広く信仰を集めました。大鳥神社の社名『おおとり』は、『大取』に通ずる為、宝物を大きく取り込むという商売繁盛開運招福の神様として、多くの人達の信仰を集めております。また、酉の市当日は、社殿において、この縁起のもとになる『開運熊手守』が授与されます。」境内案内板より
《目黒稲荷神社》末社
「祭神:倉稲魂命(福徳円満、商売繁盛、諸病平癒、農業諸産業の神)、素戔鳴尊(災難・疫病避けの神)、火産巣火神(火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く、火防開運の神)、水速女命(祈雨、上雨、子授け、安産、水の神)」
《オオアカガシ》東京都指定天然記念物
「大鳥神社境内に生育していたオオアカガシは、基本種のアカガシに比べ非常に大きく、薄い葉を繁らせ、また、雄花穂の花軸はアカガシより太く長く、苞や果実も大きいという特徴からアカガシの変種とみなされました。新変種命名の基準となった本樹は、学術上貴重な樹木として、昭和38年に東京都の天然記念物に指定されました。本樹の枝葉は、現在でもオオアカガシCyclobalnopsis acuta(Thunb.) Oerst. var. megaphylla Hayashi, var. nov. のタイプ標本として、国立科学博物館筑波実験植物園に保管されています。
指定時に樹高約16メートル、幹周り1.6メートルあった本樹は、生育環境の変化等により昭和50年代初め頃から樹勢の衰退がはじまり、数回にわたる樹勢回復事業も実施されましたが、平成14年枯死が確認されました。また、後継樹育成のため挿し木による増殖も試みましたが、成功せず、平成24年に指定解除となりました。
ここに説明板を設置し、都内でも学術上貴重な名木が存在したことを後世に伝えるものです。
平成24年3月 建設 東京都教育委員会」境内案内板より
《切支丹灯籠》
「下目黒の大鳥神社所蔵で、昭和38年、守屋図書館に開設された郷土資料室に出品公開されて以来、中庭で展示していたものです。
もとは千代が崎(現在の東京都教職員研修センター付近)の大村邸内にあり、かつてこの地にあった肥前島原藩松平主殿守の下屋敷にまつられ、密かに信仰されていたものと伝えられています。
竿石の下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエス像を仏像形式に偽装した珍しい型の切支丹灯籠で、キリシタンへの弾圧と迫害が厳しくなった寛永・正保・慶安の頃から江戸中期にかけて作られたものと考えられます。」境内案内板より
《くし塚》
「由来と参拝のご利益
日本では古来より『くし』は幸運のシンボルと考えられてきました。
日本最古の歴史書『古事記』によると、神祖伊耶那岐命は愛する妻伊耶那美命の死を悲しみ『黄泉国(死の世界)』へ会いに行くと、何と身体は腐って、蛆がたかっているので、『この世』へ逃げ帰ります。
暗闇の死の世界から逃げる為に髪に挿していた『竹のくし』を抜いて火をつけ、松明代わりに道を明るく照らし生還されました。
又、大鳥神社の御祭神である日本武尊命は妻弟橘媛命と東国へ渡る際、浦賀水道で風波が荒くなり海神の怒りを鎮める為、妃は海に身を投げ、身代わりとなった妃の『くし』は浜に流れついて、今も祭られています。
『くし』はこのように人生の歩む道を照らし身代わりとなる力を持っています。
『くし塚』に御参りをすると開運、無病息災家内安全が得られます。
特に目黒大鳥神社の御祭神は目の病、成人病、糖尿病、ボケにかからない為に、又お苦しみの方々をお救いする神様です。
多勢の方々の御参拝をお待ちいたします。
平成元年九月四日『くしの日』
奉納 美容週間実行委員会」境内案内板より
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