水神社(魚河岸)遥拝所
水曜日で市場はおやすみなのだけど、営業しているお店もあって(開店を確認出来たのは“トミーナ”だけだったけど…)…
といっても、車も人も時々ちらりと見える程度…静かな静かな場内。
開場しているときの活気が嘘みたいで、ちょっと寂しかったりするのだけど、ゆっくりじっくりお参りと撮影が出来るのは、正直うれしぃ。
場内道路からちょっと奥まったところ、階段を十数段ほど上った先に石の鳥居と灯籠、ちょっとごつめな狛犬さん。
そして、覆屋の下、白壁に黒金具が粋な社殿。境内には、きれいに刈り込まれた松や生け垣、花を咲かせた鉢植えなんかも置いてあって、やけに落ち着く雰囲気。
境内から振り返って市場を見渡してみる…この日は“ただの休市日”なだけなのに、やっぱりなんか切なさがこみ上げてきちゃう。
なんてしんみりしてたのだけど、
ふと…
方向音痴な私でも、ちょいと気になってしまったよ?
こちらは、神田神社(神田明神)の境内に鎮座する“魚河岸水神社”の遥拝所なわけだけど…
北東を向いてるということは、背後は南西。
神田神社は、ここからほぼ真北だったような…
遥拝所というのは、本殿へ“むける(参拝者の身体が…)”ように建ってるものだと思ってた………
移転のときに、方向がずれた とか?
神田神社は、“将門塚”の近所から神田駿河台(お茶の水駅の北側)、そして現在地(お茶の水駅の南側)へは1616年に遷座してきてるそうで、
市場は日本橋(» 日本橋魚市場発祥の地碑)からの移転。
いやでも、築地が移転したのは、関東大震災(1923)後の区画整理のときなので、神田神社はとっくに現在地だったわけで…
築地場内の区画割は、外の晴海通りや新大橋通りなんかと合わせてあるわけだし、
通りに直角に建てたからこの向きになっただけ かも?
そんなこんなを『東京時代MAP』で江戸時代と現代の地図で…
…って、この本、
トレペのような半透明紙で現代地図が江戸時代の地図の上に重ねられていて、一度にほぼ両方が見えるもんだから、ついついあちこち見ちゃって止まらなくなる…
…見比べながら、あれこれ想像するのは楽しい。
そういえば…豊洲へのお引っ越し問題はどうなってるんだっけ?
こちらの遥拝所もお引っ越しされるそうだけど…波除神社の神様と離れてしまうのは、寂しくないかい?
(2018.3撮影)
といっても、車も人も時々ちらりと見える程度…静かな静かな場内。
開場しているときの活気が嘘みたいで、ちょっと寂しかったりするのだけど、ゆっくりじっくりお参りと撮影が出来るのは、正直うれしぃ。
場内道路からちょっと奥まったところ、階段を十数段ほど上った先に石の鳥居と灯籠、ちょっとごつめな狛犬さん。
そして、覆屋の下、白壁に黒金具が粋な社殿。境内には、きれいに刈り込まれた松や生け垣、花を咲かせた鉢植えなんかも置いてあって、やけに落ち着く雰囲気。
境内から振り返って市場を見渡してみる…この日は“ただの休市日”なだけなのに、やっぱりなんか切なさがこみ上げてきちゃう。
なんてしんみりしてたのだけど、
ふと…
方向音痴な私でも、ちょいと気になってしまったよ?
こちらは、神田神社(神田明神)の境内に鎮座する“魚河岸水神社”の遥拝所なわけだけど…
北東を向いてるということは、背後は南西。
神田神社は、ここからほぼ真北だったような…
遥拝所というのは、本殿へ“むける(参拝者の身体が…)”ように建ってるものだと思ってた………
移転のときに、方向がずれた とか?
神田神社は、“将門塚”の近所から神田駿河台(お茶の水駅の北側)、そして現在地(お茶の水駅の南側)へは1616年に遷座してきてるそうで、
市場は日本橋(» 日本橋魚市場発祥の地碑)からの移転。
いやでも、築地が移転したのは、関東大震災(1923)後の区画整理のときなので、神田神社はとっくに現在地だったわけで…
築地場内の区画割は、外の晴海通りや新大橋通りなんかと合わせてあるわけだし、
通りに直角に建てたからこの向きになっただけ かも?
そんなこんなを『東京時代MAP』で江戸時代と現代の地図で…
…って、この本、
トレペのような半透明紙で現代地図が江戸時代の地図の上に重ねられていて、一度にほぼ両方が見えるもんだから、ついついあちこち見ちゃって止まらなくなる…
…見比べながら、あれこれ想像するのは楽しい。
そういえば…豊洲へのお引っ越し問題はどうなってるんだっけ?
こちらの遥拝所もお引っ越しされるそうだけど…波除神社の神様と離れてしまうのは、寂しくないかい?
(2018.3撮影)
《御祭神》
弥都波能売命
《祭礼》
1・5・9月
【由緒】
「『水神社』の歴史は古く、天正18年(1590)徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して『弥都波能売命』を祀った『大市場交易神』がその始まりといわれています。
明治34年には神田明神の境内に『水神社』本殿が建立され、日本橋魚市場は関東大震災以後に築地に移転し、現在地に遥拝所が建立されました。
以来、築地魚市場の守護神として『水神さま』とお呼びし、魚河岸会の人々の篤い崇敬によって大切に守られています。
この場所は、江戸時代は松平定信公庭園跡で、明治維新後は海軍用地となり、境内にある『旗山』の碑は、日本海軍発祥の地のゆかりを記す貴重な史跡です。
尚、毎年2月には神田明神境内の水神社本殿、御参拝が行われています。また遥拝所でも1・5・9月の年3回神事が執り行われています。」境内案内板より
築地5-2 築地魚市場内 » Google MAP
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