萱田 飯綱神社
鐘楼は、除夜の鐘をつけるそうで、いつか体験してみたいもの。というか、鐘楼、のぼってみたい…
さらに、本殿とその玉垣の朱が、味のあるくすみ加減になっていてなんとも優美。
表参道の階段がかなり急で、日が暮れると真っ暗になるのだけはちょっと苦手だけど、境内からの眺めは、木々で遮られるものの、かなり気持ちいい。
新川で打ち上げられる花火をココから眺めるのが、ここ数年の夏の楽しみ。
めっちゃ大好きな神社。
文明11年、時の名将太田持資入道道灌が扇ヶ谷上杉定正の命を受け臼井城を攻めるに当り、砦をこの権現山上に築き、大権現を祀り、戦勝を祈り守り本尊で肌身離さなかった十一面観世音を此処に奉祀した。しかし、臼井城の要害抜けず、退陣する際本尊を土中に埋め去ったという。
それから140余年後の元和8年8月7日の夜から、白狐が権現山付近に毎日現れ、1週間も鳴き続けたので、土地の人々拝礼すると、「我は飯綱権現である、昔太田道灌が尊信深かりし十一面観世音の尊像は当山北東5尺の地下に埋れているが常にこの世に出て、霊験を授け民を守護し、と念じている。早くその地を掘り尊像を再誕せしめば、遍く一切衆生を済度し給うであろう…」とのお告げ。
言われた通り掘ると土中から十一面観音を発見。「お堂」を建て、この「十一面観音」をお祀りしたのが、ここの始まりと言われている。
元は飯綱大権現と称し、長福寺の所領に属する寺だったものが、「廃仏毀釈」の際、“飯綱神社”となり、消滅を逃れる。
そんな中で、“鐘楼”が「寺」の名残としてそのまま境内に現存する。桁行(正面)三間(375cm)・梁間(側面)二間(290cm)という見事な大きさで、二層の下層の壁が“袴腰鐘楼”という形(裾が広がっている)その部分は、正面680cm・側面605cm。上層に鐘がかけてあり、下層の中の階段で上がれるようになっている。この鐘楼は、文化11年(1814年)に地元大和田村の惣八と下吹入村(現 芝山町)の大工二人が建てた…とのこと。
境内にある御神木の大イチョウは、樹高28.5m、胸高周囲5.7m、枝下高3.4m、根元周7.4m、樹齢450年といわれている巨木。
本殿の玉垣には、中国の故事「二十四孝」の見事な彫刻がある。
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