国府台天満宮
ゆっくりお参りし、しばし雨宿りさせていただく。
拝殿の扉の開きを押さえるように置かれたお賽銭箱…そこから中を拝見。昔懐かしい田舎の居間 みたいなほっとする佇まい。ぐるりと古そうな写真などがかけてあるのだけど、圧巻なのが巨大な絵馬。馬に乗った凛々しい青年の絵。かなり大きい。その絵に関する解説は見当たらず、どなたの絵なのか不明。
10分ほどして、雨がほぼあがったので…とはいえ、空はまだあやしく、かなりぬかってしまってたので、そろりと境内散策…辻切り行事で飾られたであろう“藁の蛇さん”が一匹も見付けられず………
雨宿りのお礼参りをし、先を急ぐ…次の“雨”がくるまでに、バス停に辿り着けるだろか?(2014.4撮影)
《国府台天満宮と辻切り行事》
「この天満宮は文明11年(1479)、当地の鎮守として、太田道灌持資が建立したと伝えています。もと法皇塚の墳頂部に祀られていましたが、明治8年(1875)大学校設立の用地として、周辺地域が買い上げられたとき農家と共に現在地に移されました。
この地域では古くから獅子舞・辻切りといった民族行事が行われてきました。「辻切り」とは人畜に危害を与える悪霊や悪疫が部落に侵入するのを防ぐため、部落の出入口にあたる四隅の辻を、霊力によって遮断してしまうことから起こった名称です。
遮断の方法には注連縄を造って道に張るとか、大蛇を作ってその呪力によって侵入してくる悪霊を追い払うというような方法がとられていますが、千葉県では南部の地方では注連縄を張る部落が多く、北部の地方では大蛇を作る部落が多かったようです。
市川市でも昔は国府台、国分にかけた地域で盛んに行われた行事でしたが、太平洋戦争後は世相の移り変わりとともに次第に廃れ、今では昔の姿を伝えているのは、この国府台の辻切りだけとなってしまいました。(市川市指定文化財)
辻切り行事は毎年1月17日、この天満宮境内で行われ、ワラで2メートルほどの大蛇を四体作り、御神酒を飲ませ魂入れをして、町の四隅にある樹に頭を外に向けて結び付けます。こうして大蛇は一年間風雨にさらされながら、町内安全のため目を光らせているのです。
獅子舞については、その継承者が各々の家の相続者に限られていたことと、社会情勢の変化等から、昭和13年を最後に継承が絶えてしまいました。
平成5年3月 市川市教育委員会」境内解説板より
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