西久保八幡神社
夜…桜田通りに面して鳥居が白くぼぉっと浮かびあがる。階段(男坂)に吸い込まれるようにのぼるとそこに境内が広がり、振り返ると木々の隙間から東京タワーが輝いてる…
境内に“西久保貝塚”があるらしぃのだけど…よくわからない。
昼間にも訪れてみたい…(2011.11撮影)
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やっと日中に参拝。境内は広々としていて…こんなに明るかったんだ…
こぶりで品のいぃ社殿の背後に、霊友会釈迦殿の個性的過ぎる屋根がそそり立っていて、結構な威圧感…
でもとても静かなこの佇まい…なんかほっとする。すぅっと伸びた高い木々の葉のさらさらとした音も心地いぃ。
境内のベンチに座り、しばしぼんやり。
うん、またこよぉ。(2014.12撮影)
境内に“西久保貝塚”があるらしぃのだけど…よくわからない。
昼間にも訪れてみたい…(2011.11撮影)
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やっと日中に参拝。境内は広々としていて…こんなに明るかったんだ…
こぶりで品のいぃ社殿の背後に、霊友会釈迦殿の個性的過ぎる屋根がそそり立っていて、結構な威圧感…
でもとても静かなこの佇まい…なんかほっとする。すぅっと伸びた高い木々の葉のさらさらとした音も心地いぃ。
境内のベンチに座り、しばしぼんやり。
うん、またこよぉ。(2014.12撮影)
《御祭神》
品陀和気命、息長帯比売命、帯中日子命
《祭礼》
8月13・14・15日(2月3日:節分祭、2月17日:祈年祭、6月30日:夏越大祓式、11月23日:新嘗祭、12月31日:年越大祓式)
【由緒】
寛弘年間(1004年~1012年)創建。室町時代の武将で江戸城主となった太田道灌が現在の地に遷したと伝えられる。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦の折に、お江が家康・秀忠の戦勝と安全をこの西久保八幡宮に祈願し、寛永11年(1634)、社殿その他の建物が、お江の遺志により三代将軍家光によって建立された。
*境内社:稲荷社(宇迦之御魂神)、人麿社(柿本人麻呂)、庚申社(猿田彦神)
《西久保八幡貝塚》
「港区虎ノ門飯倉交差点の北側にあたる台地の先端に西久保八幡神社があります。この社殿の裏手斜面に貝塚が形成されており、都心部に良好な状態で残る貝塚と言えます。
本貝塚が知られたのは昭和のはじめ頃に遡りますが、正式調査を経ぬまま今日にいたっていました。昭和57年度の都心部遺跡調査団による分布調査で存在が確認され、調査が行われました。
台地の縁辺から計画にかけて、縄文時代後期前葉から後葉にかけての混土貝層が二枚発見されました。また、貝層上には縄文時代晩期の遺物包含層、貝層下には縄文時代前期の遺物包含層が確認されています。調査範囲が狭いにもかかわらず、貝層からは縄文時代後期中葉の完形の精製浅鉢土器や精製深鉢土器、粗製深鉢土器が数個体出土しており、E.S.モースが発掘した品川区大井の国指定史跡大森貝塚出土品(重要文化財)との比較資料として重要です。
平成22年3月 建設 東京都教育委員会」境内解説板より
虎ノ門5-10-14 » Google MAP
[オフィシャルサイト » http://www.hachimanjinja.or.jp]
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