猿楽神社
素朴な木の鳥居をくぐると、鳩が並んでひなたぼっこ中…ごめんね、ごめんね、ちょっとそっち行っていぃ?…とか言いながら、ゆるりと曲がった参道を昇る…
案の定、鳩たちは右往左往ジタバタした挙句、一斉に飛び立つ…ほんと、ごめん………
この“古墳”だというこの小山…鳩がいなくなったあとは、とてもとても静か。小さな小さな境内だけど、絵馬掛けがあって、小さなかわいぃ絵馬が並んでる。
“やっとこれたねぇ〜”なんて、ツレに話しかけたつもりが、振り向くと知らないおねぇさん…うっわっ すいませんっ!
お参りを済ませ、小さな境内社にもお参りしたり、ぐるりとまわりを眺めたり としてたら、また他の参拝の方々が…結構、人気なよぉだ…
ちなみに、御札やお守り、絵馬は、ヒルサイドテラスE棟の管理室で受けられるらしぃ。(2014.12撮影)
「古よりこの地に南北に並ぶ二基の円墳があり。北側に位置する大型墳を猿楽塚と呼称している。この名称は、江戸時代の文献『江戸砂子』『江戸名所図会』等にも見られ、我苦を去るという意味から、別名を去我苦塚と称したとも言われている。6〜7世紀の古墳時代末期の円墳と指定され、都市化その他の理由により渋谷区内の高塚古墳がほとんど壊滅したなかで、唯一現存する大変貴重な存在であり、昭和51年3月16日に、渋谷区指定文化第五号に指定された。
この地に移住する朝倉家は戦国時代からの旧家であり、遠祖は甲州の武田家に臣属し、後に武蔵に移り、中代より渋谷に住み、代々、無比の敬神家として、渋谷金王八幡宮と氷川神社の両鎮守への参拝を常とし、また氷川神社改建の折にも尽力している。
朝倉家では、大正年間に塚上に社を建立し、現在、天照皇大神、素戔鳴尊、猿楽大明神、水神、笠森稲荷を祀り、2月18日、11月18日を祭礼日と定めて、建立以来、一族をはじめ、近隣在郷の信仰を集めている。
平成14年11月18日 朝倉徳道 撰」境内由緒書きより
《猿楽塚》猿楽町29番 ヒルサイドテラス内
区指定史跡:昭和51年3月26日指定
「ここにあるこんもりした築山は、6〜7世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種です。
ここにはその円墳が二基あって、その2つのうち高さ5mほどの大型の方を、むかしから猿楽塚と呼んできました。
この塚があることから、このあたりを猿楽といい、現在の町名の起源となっております。
ここにある二基の古墳の間を初期の鎌倉道が通っていて目黒川にくだっていました。
渋谷区のように開発が早くからはげしく行われた地域に、このような古墳が残されていることは非常に珍しいことです。
渋谷区教育員会」境内解説板より
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