蔵王権現(実籾)
ずいぶん前に、確かどこかのサイトで紹介されていて、『牛』とセットの写真がずっと気になってた。
なんとなくの場所はわかっていたのだけど、今回たどり着けたのはまったくの偶然。
実籾駅方面から実籾本郷公園へ、その北のはずれの“大宮神社”経由のコース散歩。
雨の中テクテクトボトボ歩いて、間もなくってあたりのゆるやかなカーブを抜けたら…
おぉ〜!? 視線の先にアノ『牛』さんが!!
その脇に鳥居があって、階段とその先に祠も見えるのだけど、
『牛』さんの想像通りのインパクトに、思わずにやけてしまう…
うぅん…でも、これはやはり、こちらのおうちの敷地内 だよね…………
というわけで、その場からお参りさせていただく。
さらに、道路側の生け垣から祠がより近く見える隙間があったので…覗き見すいません…
で、こちらにはいったいどんな由来があるのか と、
あとであちこちのサイトを拝見してみた。
“家康が東金に行く途中、実籾本郷の字権現山(鴇田重右衛門新宅)で休憩し、その一角に文化三年(1806)家康を祭神とした蔵王権現社を建てた。”…ということだそうなのだけど…
すぐ近くの“実籾本郷公園”内にある『旧鴇田家住宅』は、習志野市のサイトにあるリーフレット(千葉県指定有形文化財)によると「江戸時代に実籾村の名主で御成街道沿いに建っていた鴇田家を移築したもの」、
さらに、習志野市の文化財紹介ページには「旧鴇田家住宅は、もとは400mほど離れた東金街道沿いの実籾村に建てられていた。」
ということは、字権現山に建ってた…ということでよいのかな?
以前、『東金御成街道史跡散歩』という本を読んで、“東金御成街道を歩きたい!”病にかかったのだけど…未だ実行できず。
うぅん…再炎だな。計画たてよっと。(2017.11撮影)
なんとなくの場所はわかっていたのだけど、今回たどり着けたのはまったくの偶然。
実籾駅方面から実籾本郷公園へ、その北のはずれの“大宮神社”経由のコース散歩。
雨の中テクテクトボトボ歩いて、間もなくってあたりのゆるやかなカーブを抜けたら…
おぉ〜!? 視線の先にアノ『牛』さんが!!
その脇に鳥居があって、階段とその先に祠も見えるのだけど、
『牛』さんの想像通りのインパクトに、思わずにやけてしまう…
うぅん…でも、これはやはり、こちらのおうちの敷地内 だよね…………
というわけで、その場からお参りさせていただく。
さらに、道路側の生け垣から祠がより近く見える隙間があったので…覗き見すいません…
で、こちらにはいったいどんな由来があるのか と、
あとであちこちのサイトを拝見してみた。
“家康が東金に行く途中、実籾本郷の字権現山(鴇田重右衛門新宅)で休憩し、その一角に文化三年(1806)家康を祭神とした蔵王権現社を建てた。”…ということだそうなのだけど…
すぐ近くの“実籾本郷公園”内にある『旧鴇田家住宅』は、習志野市のサイトにあるリーフレット(千葉県指定有形文化財)によると「江戸時代に実籾村の名主で御成街道沿いに建っていた鴇田家を移築したもの」、
さらに、習志野市の文化財紹介ページには「旧鴇田家住宅は、もとは400mほど離れた東金街道沿いの実籾村に建てられていた。」
ということは、字権現山に建ってた…ということでよいのかな?
以前、『東金御成街道史跡散歩』という本を読んで、“東金御成街道を歩きたい!”病にかかったのだけど…未だ実行できず。
うぅん…再炎だな。計画たてよっと。(2017.11撮影)
《御祭神》
徳川家康公
【由緒】
鷹狩りのために徳川家康が土井利勝に命じて作らせた東金御成街道。
船橋~東金間、約37km。
今でもその名残がところどころ残っている。
蔵王権現界隈は「字権現山」と呼ばれる一帯で、
鷹狩りへの道中、徳川家康が休憩に寄った場所という伝承があって、
近くに細い古道跡も残っているとのこと。
祠の中に、“蔵王権現”(側面に「文化三年」)と彫られた1mほどの石碑があるそうな。
実籾本郷9 » Google MAP
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