秋葉神社(向島)
ちょっと無骨な佇まいで、なんだかほっとする。
本殿横の境内社が、ちょっと淋しげ…(2017.9撮影)
「昔この地を五百崎の千代世の森と云う千代世稲荷大明神がまつられていた。草創は正応2年(1289)と伝える。江戸時代の始め善財という霊僧この森に庵を結び精修数年の後、秋葉大神の神影を彫みこれを社殿に納めて消え去った。元禄の始め修験者葉栄が神感を得てこの社に詣り祈願の利益をうけ、当時諸地村の長百姓岩田興右衛門を通じ寺社奉行に願出で上州沼田城主本多正永の報賽にて、元禄15年(1702)秋葉稲荷両社と稱して社殿を造営し又千葉山万願寺を興して別当となった。
爾来鎮火の霊験・産業縁結びの神徳により諸大名はじめ士庶人の信仰を受け、享保2年(1717)に神祀管領より正一位の宗源宣旨を受けるに至った。明治元年神佛分離令の施行により、秋葉神社と稱し別当万願寺を廃した。大正12年の震災に社殿倒壊し、昭和5年復興したが、昭和20年戦災にかかり昭和41年氏子崇敬者の奉賽により現社殿を再建した。
昭和61年10月18日建立 社務所」境内案内板より
《石燈籠》墨田区登録文化財
「本殿に向かって一番近くにある石燈籠一対は、松平甲斐守吉里の室、源頼子が寛保元年(1741)奉献したものです。吉里は将軍綱吉の寵臣柳沢吉保の子です。
この石燈籠の右横にある一基は、前橋城主涌井雅楽頼忠挙が宝永6年(1709)に奉献したもので、その手前にある一対の石燈籠は、関東郡代伊奈忠宥が宝暦8年(1718)に奉献しました。
鳥居に近い石燈籠一対は、上州沼田城主で老中を勤めた伯耆守本多正永が宝永元年(1704)に奉献したものです。なお、この一対は『墨田区登録文化財』に登録されています。
当社は安藤広重の『名所江戸百景』に紅葉の名所として描かれ、『江戸名所図絵』には『秋葉大権現社、弘福寺より三丁あまり東の方請地村にあり、遠州秋葉権現を勧請し(略)境内林泉幽邃にして四時遊観の地なり』とも書かれています。一方鎮火の神として将軍家や諸大名の崇敬があつかったといいます。
平成五年三月 墨田区」境内案内板より
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