穴八幡宮
これから、何十年何百年と経つうちに、趣ある神社になるんだろな。(2012.5撮影)
「社伝によれば、康平5年(1062年)源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。
寛永13年(1636)には、幕府の御持弓組頭松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を祀った。寛永18年(1641年)別当の放生寺を建立するため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の阿弥陀如来像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。
江戸の庶民からも信仰を集め、特に虫封じの祈祷(子供の疳(かん)を鎮めるためのまじない)で有名だった。明治12年(1879年)には皇太子(後の大正天皇)の御虫封祈祷も行っている。虫封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている。
また冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる。お守りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日までであり、冬至の日は特別に午前5時から受け取る事ができる。
歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、享保13年(1728年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため、甘泉園近くの流鏑馬場(やぶさめばば:高田馬場)で流鏑馬の儀式を行い、流鏑馬を穴八幡に奉納した。これが、将軍家奉納の穴八幡神事流鏑馬の初めである。流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、穴八幡宮に伝わる「流鏑馬絵巻」には元文3年(1738年)に奉納された竹千代(後の10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描かれている。」由緒書きより
《高田馬場の流鏑馬》新宿区指定無形民族文化財
「享保十三年(1728)德川将軍吉宗が世継の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納された。
明治維新以降中断し、昭和九年に皇太子(現天皇)誕生祝いのため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。昭和三十九年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和五十四年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年十月十日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。」
《布袋像の水鉢》新宿区指定有形文化財(工芸品)
慶安2年(1649)造立、区内最古の水鉢。江戸城吹上御苑に置かれていたが、徳川家光により奉納されたという。
《本殿・拝殿》
昭和36年(1961)御鎮座900年事業として本殿再建工事を開始。平成元年(1989)引き続き幣殿、拝殿工事を行う。
《神門》
嘉永元年(1848)4月に建てられた随神門は、昭和20年(1945)5月の東京大空襲で炎上。平成8年(1996)4月15日~平成10年(1998)8月31日の工事にて再建。
神事流鏑馬:10月体育の日
一陽来復守の授与:冬至〜節分
境内社:若宮八幡宮、稲荷社、東照宮、氷室明神
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