朝日稲荷神社
右側に回り込んだ先にビルの入口があり、エレベーターの上に『朝日稲荷神社・本殿参拝のお客様へ「屋上本殿へは、こちらのエレベーターで8Fより非常階段で上がって下さい。なお、日曜・祝日は参拝出来ませんのでご了承下さい。朝日稲荷神社 社務所」』という張り紙が…親切…安心してお邪魔できる…
(以前、日曜に訪れたときは、拝殿前のシャッターも閉まってた…格子状のものだから、中を覗くことは出来たのだけど、参拝出来ず…)
エレベーターで8階に降り立つと、すぐ横に“社務所”、その隣に美容院…その向かいの扉にまた張り紙…この先が非常階段。ちと怖い…(下が間からみえるやつ…)
と、屋上に到着すると、ガラス越しに赤い幟と薄緑の屋根と、青空が見えてほっとする…
さっそくお参りを…って、手水舎まわり蜂だらけ…ご、ごめんなさい…無理っ!そろりとすり抜けてお参りを…この屋上、広くはないけど、とてもとてもすっきり綺麗…とにかく、気持ちいぃ。
本殿脇から下を覗いてみる…実はなかなかこんな風に銀座の町を“上から見る”ってないんじゃないかな?
さらに、外に出、斜め向かいの王子ホール前から大広ビルを仰ぎ見ると、屋上に赤い幟と本殿の屋根が見える…これまたなかなかこんな風にビルの屋上をしげしげ見るなんてないんじゃないか?
ちょいと不思議な感覚。(2014.4、2014.11、2015.11、2016.11、2017.11…撮影)
» 銀座八丁神社めぐり2014
銀座で一番好きな神社っ!
「朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し、守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。しかしながら、安政の大地震により社殿崩壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し、浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。
大正6年、鎮座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れた。建築業館岡集が当地に奉安したが、関東大震災により、転地を余儀なくされ、神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。町内崇敬者一同神威を畏み奉り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され東京市の管理下にあった。三丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附を懇請したが叶わなかった。しかしながら、土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。初午が盛大に祝われ、縁日は四丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。こうした、町内守護神として広大な神徳顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有に帰した。
戦後社殿を再建し、昭和27年宗教法人朝日稲荷神社となる。以後三丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいや増して広大、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。
昭和58年、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。ビル一部の1,2階を吹き抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。
毎年初午に盛大に祭を催し、また、大銀座まつりの際は銀座八丁神社巡りの札所として、銀座三丁目にとどまらず、多くの人々の崇敬を集めている。
商業の神として商売繁盛はもとより、当地に鎮座して以来天災なく、また、縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。
昭和63年 銀座三丁目町会」拝殿脇案内板より
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