庭園
場所:椿山荘
関連サイト:“庭園|東京のホテルならホテル椿山荘東京。”
「春は桜。夏は新緑。秋は月紅葉。冬は雪椿。日本の四季が豊かな表情を咲かせるホテル椿山荘東京。この周辺は、古来より椿が自生する景勝の地として知られ、1300年代の南北朝期の頃から「つばきやま」と呼ばれていました。江戸期の浮世絵師・歌川広重作「名所江戸百景」でも取り上げられており、往時の賑わいを伺い知ることができます。
明治維新を迎えると、長州藩士で新政府の礎を築いた元勲・山縣有朋公爵が、明治11年私財を投じてこの地を購入。約2万坪の起伏豊かな地形を巧みに生かし、今日に見る自然主義の名園を造り上げました。その庭園は、つばきやまの名にちなんで「椿山荘」と命名。ホテル椿山荘東京の歴史はこれを起源とし、当時明治天皇・大正天皇をはじめ政財官界の第一人者たちがしばしば訪れ、国政を動かす重要会議が開かれるなど、歴史の表舞台として登場していきます。
その後は、山縣公爵からこの名園を譲り受けた、関西財界で主導的地位を占めた藤田組の2代目党主・藤田平太郎男爵が、三重塔をはじめ歴史を偲ばせる文化財の数々を随所に配置。その風情を一段と高めるに至りました。自然を何よりも愛し、山水を心から愉しんだ山縣公、そしてその意思を受け継ぎ庭園維持に尽力した藤田男爵の想いをいま一度継承し、皆様とこの森のような素晴らしい庭園を共有できれば幸いです。」入り口・冠木門でいただいたマップ裏の解説より
*椿山荘オフィシャルサイト:庭園
【白玉稲荷神社】
大正13年(1924年)に京都下鴨神社にあった社殿を譲り受けて移築し、翌14年に伏見稲荷大社から白玉稲荷を勧請して椿山荘の守護神としました。平成元年、現在地に新社殿を建立し、鎮座いたしました。
【圓通閣(三重塔)】
圓通閣は、平安前期に小野篁(おののたかむら 西暦802〜852年)によって広島県の竹林寺に創建され、平清盛(たいらのきよもり 西暦1118〜1181年)が第一回目の修復を執り行ったとの言い伝えがあります。椿山荘へは1925年(大正14年)、山縣有朋公爵から庭園を譲り受けた藤田組二代目党首 藤田平太郎男爵によって移築されました。2010年(平成22年)には移築後初めての大規模改修(2011年完了)を行い、新たに聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を奉安。臨済宗相国寺派 有馬賴底管長 猊下による楽慶 並びに入仏開眼法要を執り行い、「圓通閣(えんつうかく)」と名乗るところとなりました。「圓通」とは圓通大士、つまり観世音菩薩の異称で、圓通閣は観音堂を意味しています。【般若寺式石灯篭(鎌倉時代後期作の逸品)】
「般若寺型」石灯篭は江戸時代の茶人・造庭家の間で「名物の灯篭」と呼ばれ、本来は奈良市般若寺に在する石灯篭が原型とされていました。しかし椿山荘所在の般若寺式石灯篭の方が基礎の反花の勾配の美しさ、火袋の彫刻の図様、中台の各狭間内の文様に原格性があり、のびのびとし優れたものであることから、椿山荘所有のものが原型で般若寺のものはその模作であり、江戸時代初期作とされています。(石造美術研究の権威・川勝政太郎博士の調査発表による)【丸型大水鉢】
この丸型大水鉢は、京都府東山区粟田口から蹴上を経て山科に通じる日ノ岡峠にあったもので、木食上人 養阿正禅(ようあしょうぜん)が旅人のために作ったものと伝えられています。この水鉢は牛車の轍が刻まれた敷石とともに保存されていますが、日ノ岡峠を越える人々が水鉢に溢れる清水で肌を冷やし 喉を潤した往時がしのばれます。木食上人…米、麦、粟、稗、豆の五穀を断ち、木の実などを食とする戒律を守り、仏の道を修める僧の事です。
【福の亀】
この亀の形をした石は、山梨県東山梨郡牧丘町大室の標高千メートルの山中で発見されたので、全く天然のままの甲州御影石です。亀甲模様の線は永年風雨にさらされて、石の軟らかい部分が風化して出来たもので、一万年以上の年月を経ていると推定されます。長寿と幸せのシンボルとしてご鑑賞ください。
【羅漢石】
江戸時代中期の画家、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の下絵による五百羅漢の内の約20体で、京都伏見の石峰寺にあったものを大正14年頃に移されたとされています。羅漢…阿羅漢の略称で煩悩をすべて断滅して最高の境地に達した人。
【庚申塔】
寛文年間(江戸時代初期)は各地で庚申信教が盛んになり、数多くの庚申供養塔が建立されましたが、この庚申塔は寛文9年(1669年)に作られたもので、当時、この辺りに野道があった頃から現在の位置にあったと伝えられています。【椿山荘の碑】
明治10年(1877年)西南の役に凱旋した山縣有朋公爵が、翌11年「つばきやま」と呼ばれていたこの地を入手し、「椿山荘」と命名した際の感懐を刻んだ記念碑です。(総高2m70cm、碑の幅90cm)【筆塚】
昭和33年(1958年)11月に出版 美術家連盟の皆様によって除幕式が行われた筆供養の碑。「筆に明け筆に生涯を送る私達の伴侶を芭蕉ゆかりの地に祀り 筆塚とす」と説明文に記されています。(高さ85cm、周囲4m50cm)
【十三重の石塔】
この塔は戦国時代の武将で茶人でもあった織田有楽(織田信長の弟)ゆかりの層塔と伝えられています。花崗岩製で、第一層目には四方仏(弥陀、弥勒、釈迦、薬師)が彫刻されています。数種の層塔が混合していますが、その一部は鎌倉時代の様式を示しています。(総高4m76cm)【古香井】
古くから東京の名水に数えられた由緒ある湧き水。秩父山系からの地下水が湧き出されているもので、ミネラル・カルシウムを豊富に含んだ弱アルカリ性の水で健康には最適とされています。1923年の関東大震災の際には被災者用に解放され、その渇きをいやしたといわれています。(1辺90センチの正方形の井戸)【椿山荘の八福神】
《1》庭の神ニワトリの形をしたこのカタマリは、2009年からこの庭園の七福神に仲間入りしました。
いつの日からかニワトリは、その翼で飛ぶことをやめ、庭の中の安心や幸せを守る神として崇められています。今日もチョコチョコ歩き回り、この庭を守ってくれています。
《2》寿老人
人々の健康と安全を守り、長寿を授ける神。
中国の老子が天に昇ってなったという仙人の姿。長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えていたといわれています。
《3》布袋
平和安穏、家庭隆盛などをつかさどる神。
中国に実在した僧で、ふくよかな笑顔に大きな布袋をたずさえた姿が特徴的です。
《4》毘沙門天
知恵と勇気の神。
善根を積む人々に福を授けるといわれている。
甲冑に身を包み、右手に槍、左手には財宝を授与するといわれる多宝塔を持つ。
《5》福禄寿
幸福、財宝、長寿の神。
頭が長く、豊かな白髭をたくわえた背の低い老人の姿。
長寿のシンボルともいわれる亀を伴っています。
《6》弁財天
音楽、弁才、財福などをつかさどる女神。
琵琶を抱えている姿が印象的です。
《7》大黒天
富と財の神。
また、台所の守護神ともいわれ五穀豊穣をもたらす。
狩衣を着て、頭巾をかぶり、左肩に袋を背負い、右手に福槌を持ち、米俵をふまえている。
《8》恵比寿
商売繁盛や豊漁をもたらす、商業や漁業の神。
右手に釣竿、左脇に鯛をかかえる姿がなじみ深い守護神です。
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