深川稲荷神社[布袋尊]
拝殿前の門も閉まってたので、その隙間からお賽銭を供えお参り。社務所にどなたかいるときは、開いてるんだろか?(2014.5撮影)
「深川稲荷神社は、寛永7年(1630)の創建と伝えられています。
以前は、旧町名の西大工町にちなんで俗に西大稲荷と呼ばれていました。関東大震災(1923)の後の区画整理により町名が変更し、昭和27年頃から深川稲荷神社となりました。
深川七福神のひとつ(布袋尊)として親しまれています。」境内由緒書きより
「深川稲荷神社は祭神宇賀魂命にて 寛永七年の創立にして当町会の地域が古い町であることを示している 大正十二年の大震災後の区画整理により町名が一変した
清住町西大工町伊勢崎町の各一部を合併して清住町二丁目が出来た 清住町は寛永六年弥兵衛という人が開発し弥兵衛町と称したが 元禄八年清住町と改めた 西大工町は慶長のころ海辺新田といヽ 小名木川の河港として栄えたところで舟大工が多く住んでいたので深川海辺大工町とも称されたが明治六年西大工町と改られた 伊勢崎町は元木場の一部で神田京橋の材木商の貯水場であり又川舟組の住居もあった 当町の半分は幕末まで久世大和守の屋敷であった 明治初年頃には近代郵便制度の創始者前島密が住んでいた 明治十三年岩崎弥太郎がこの地を入手して深川親睦園を造り名園とした 之が現在の清澄庭園である 大震災後当町に属する所は埋立られ市街地となった 現在三野村利左エ門が住んだ邸宅の跡である 中村学園は中村清蔵が明治三十八年小名木川畔に開校し明治時代深川に於ける女子教育の唯一の学校で大震災後当地に移転した こヽに明治百年を記念して当町の沿革を記し早くから発展してきた由緒ある町であることを伝えるものである
昭和四十三年十一月 清澄町二丁目自治会」境内“明治百年記念”石碑より
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