茂侶神社(東船橋)
この神社、「戦国時代の花輪城という城跡に建っており、堀の跡や土塁の痕跡がわずかに残っている」とあとで知る。しかも、たまたま通りかかって出会った社で、学校のある通り(裏)から入ったものだから、表参道も境内からなにげにながめただけで…長く下まで続いていて社号標もあった ということや、天の真名井がちょっと離れたところにあったり など、知らずに…
下調べって大事だわ。(2012.4撮影)
下調べって大事だわ。(2012.4撮影)
《御祭神》
木花咲耶姫命
《祭礼》
7月1日
【由緒】
「当茂侶神社の起原は古く延喜式神名帳に、下総國葛飾郡二座、茂侶神社・意富比神社
とあり、今を去る千六百年前すでにこの地に鎮座されて居たのであります。愛媛縣越智郡瀬戸内海大三島祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り、古来縁結び安産子育ての神として、地元民の崇敬する処でありました。摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り小御嶽神社と申して居ります。
三代実録に清和天皇の貞観十三年十一月十一日下総國従五位下茂侶神に従五位上を授く、とあり又陽成天皇の元慶三年九月二十五日下総國正五位下茂侶神に正五位上を授くとあります。
西北にある湧池は天の眞名井と称する当社の神池であります。
江戸名所図会によれば、年の始に隔年この神域より柳営に根引の若松を選び上納する旧例とす、とあります。古来例祭は旧暦6月1日に行う。」境内由緒書きより
東船橋7-20-1 » Google MAP
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