市谷亀岡八幡宮
階段はこわいのだけど、やはり神社は高台にあって欲しい。
階段途中、踊り場になったところを左に入ると“茶ノ木稲荷神社”。旗ではなく、提灯が並んでる。こじんまりとした境内は明るく、落ち着くわぁ。神狐の白くなめらかな体つきと、ライオンみたいな足先が…かわいぃ。
階段を登り切ってすぐ、左右の狛犬さんの個性的な姿に釘付け。お茶目でかわいらしすぎる…
参道の狛犬さんは、威厳あるお姿なのに…
社殿は、落ち着きある朱色と金、屋根の緑、壁の白が美しい。横から眺めたときの八幡造の屋根の連なりが好きだ。
境内社の“金刀比羅宮”と“出世稲荷”の幕の紫、境内のあちこちに咲く彼岸花の赤、そして樹々の緑…心落ち着く。
このゆったりした気持ちよさが、“神社散歩”の楽しみなんだな(2013.9撮影)
文明11年(1479)、市谷御門内に鶴岡八幡宮の分霊を江戸城西方の守護神として勧請し、鶴に対しての亀で、亀岡八幡宮と称する。
外堀が完成すると、外郭に古くからあった稲荷社(現在の茶の木稲荷)地内に遷座した。
《銅鳥居》新宿区指定有形文化財 建造物 昭和62年1月30日指定
「文化元年(1804)12月建立の銅製明神鳥居で、高さ4.6m、台石0.55m、柱には、初願者・当八幡宮別当第七世智光、造立者・東&#x+5713;寺現住仁龍他7名、鋳物師・西村和泉藤原政平の建造銘と、寄進者442名の名前や職業が陰刻されている。
“八幡宮”の額は、播磨姫路十五万石の酒井家11代当主雅楽頭忠道の書によるもので、八の字は八幡宮の神使の鳩一対によって京成されている。
区内に現存する唯一の銅製鳥居で、意匠や鋳造技術にも優れており貴重である。」境内解説板より
《軍配団扇》新宿区登録有形文化財 工芸品 昭和62年1月30日登録
「御府内備考続編之七目録(神社部・市谷八幡宮)には“団扇一本右者太田道灌所持之品図左之通”とあり、左に軍配団扇の図が記してある。当八幡宮には右記のものとして伝えられたる軍配団扇が現在も保持されている。
木製の柄に竹を編み、問に紙を挟み、表面には黒紫色で漆を塗って仕上げてあるが、文様、文字はない。
製作年代は未詳であるが、太田道灌ゆかりの軍配団扇として伝えられており、貴重である。」境内解説板より
〈境内社〉
・出世稲荷神社・金刀比羅宮
・茶ノ木稲荷神社(「市谷亀岡八幡宮の現在の境内地には、今を去る事1200年以上前に弘法大師が開山し稲嶺山(いなりやま)と申しました。市谷亀岡八幡宮は江戸の初期に遷座するまでは、この茶ノ木稲荷神社が約七百年に渡りこの山の本社だったのです。
【眼病平瘡伝説】御祭神は、古来病気平瘡に特別の信仰があります。古くから伝わるとこによれば、昔この山に稲荷大神の御神使の白狐が居ましたが、ある時あやまって茶の木で目をつき、それ以来崇敬者は茶を忌み、正月の三ヶ日は茶を呑まない習俗がありました。特に眼病の人は十七日、或は三七日二十一日の間茶をたって願えば霊験があらたかあったと言われており、その他様々な願いが成就したということです。
【御神威】遠く四方に輝き、江戸時代には参詣者は常に絶えることなく、全国の稲荷番付には前頭筆頭に位置し毎春初牛の祭はもとより、毎月々の御祭日には、神楽の奉奏、演藝の奉納等も行われ縁日も立ち賑わいを極めました。今日インターネットの普及により再び全国からお守りやご祈祷の依頼が増えています。」)
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