嚴島神社(千葉公園脇)
千葉公園の南口わきに鎮座。通称である“弁天様”が地名の由来とのこと。
参道にずらっと素木の鳥居が並ぶ…そこをくぐった先、思ったより境内、広い。ちょっと雑然とした感じも、素朴でいぃかも…
って、社務所らしき建物から、どぉやら電話してるらしぃ怒声が…こえぇよ…びびってそそくさとした散策になっちゃった。
あとで知ったのだけど、社殿の右側に“蛇石”なるものがあったらしぃ。よそのサイトの写真でみたところ、蛇が這いまわっているよぉな模様のある艷やかな石…あぁ、なでたかった…こりゃぁ、再訪せねば…
千葉公園・弁天池の“大賀蓮”もみてみたいし…来年の初夏 かな…(2014.11撮影)
参道にずらっと素木の鳥居が並ぶ…そこをくぐった先、思ったより境内、広い。ちょっと雑然とした感じも、素朴でいぃかも…
って、社務所らしき建物から、どぉやら電話してるらしぃ怒声が…こえぇよ…びびってそそくさとした散策になっちゃった。
あとで知ったのだけど、社殿の右側に“蛇石”なるものがあったらしぃ。よそのサイトの写真でみたところ、蛇が這いまわっているよぉな模様のある艷やかな石…あぁ、なでたかった…こりゃぁ、再訪せねば…
千葉公園・弁天池の“大賀蓮”もみてみたいし…来年の初夏 かな…(2014.11撮影)
《御祭神》
市杵島姫命
《祭礼》
8月22日(式年祭:巳年5月巳の日)
【由緒】
「江戸の昔 綿打池の地籍について 寒川村と作草部村との間に争いがあり 藩士のいざ実地検分の前夜 寒川の綿屋太郎兵衛が弁天様の碑石を こっそり寒川寄りに移し置き この池が寒川のものである証とした
明治以降 池のほとりに ひっそりと佇む弁天碑に祠を作り 祭祀を行い 社会の福祉に貢献した村人数名の功績は境内の顕彰碑で知ることが出来る 又 千葉家が隆盛時代 千葉常胤の六男胤頼の館が存在し 爾来この地を吾妻台と呼ばれる」境内由緒書きより
中央区弁天3-1-1 » Google MAP
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