胡録神社(湊新田)
広い公園の一角に鎮座しているのだけど、かつてはこの公園全部が境内だったのかな?
境内と公園の広場の境のような位置に、『まじわりの木』なるものがある。二股に分かれたケヤキの木と間に立つイチョウの木が交わってるように見え、その隙間がいぃ感じな“輪”になっていて、「開運 くぐり口」と…囲いの一部も開かれているし、ありがたくくぐらせていただく。(2012.2撮影)
境内と公園の広場の境のような位置に、『まじわりの木』なるものがある。二股に分かれたケヤキの木と間に立つイチョウの木が交わってるように見え、その隙間がいぃ感じな“輪”になっていて、「開運 くぐり口」と…囲いの一部も開かれているし、ありがたくくぐらせていただく。(2012.2撮影)
《御祭神》
面足尊
【由緒】
「今からおよそ二百数十年前(江戸時代)房州上房の国、富津村から江戸へ大船に乗り商売をしていた男がおりました。ある日のこと、平穏だった海上の天候が突如として変わり、怒濤渦巻く大嵐となってしまいました。その時、男は一心に神様に救難をお祈りしました。やがてお祈りが功を奏したのか、大船は波にのまれそうになりながらも、ようやく行徳の浜辺にたどり着き男は命をとりとめました。その日が7月14日でした。男はその後、救難の手助けをしてくれた娘と所帯を持ち毎年その日になると行徳の浜辺に来て花火を上げて救命のお礼をしたと言い伝えられています。
これが7月14日の祭礼と花火大会(昭和59年(1984)以降中止)の由来のようです。現在では、厄病除、縁結び、家内安全祈願の神様として地域住民の氏神様として親しまれています。」境内祭礼由来書きより
湊新田1-10-24 » Google MAP
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