佐倉 麻賀多神社
面している通りは桜も見事で、その通りの先、桜城址公園・歴博とともに大好きな界隈。
また、10月に行われる“ご例祭”は“佐倉の秋祭り”として、盛大で華やか。城下町の活気を彷彿とさせる。(2011.9〜撮影)
心のふるさとのような存在のお社。
ことあるごとに訪れる…ほっとする…いくたび、新しい発見がある…
近所なら、毎日でもお参りしたいって思うけど、
近くて遠い、遠くて近い…こんな微妙な距離感が、訪れたときのより大きな喜びになるんだと、なんとなく納得してる。
今年2017は、お祭り行かれるだろか?
旧佐倉藩の総鎮守。御鎮座は佐倉地方開闢の頃と云われているが、定かではない。
千葉県は古来、麻の産地であり、総国(ふさのくに)の“総”は麻を表している。その中にある印旛地方は下総国成立以前は印旛国。朝廷より派遣された国造には、多一族の伊都許利命が就任してたとの記録が先代舊事本紀に記載されていて、その国造が代々祀ってきたのが“麻賀多神社”。
「麻の国で多氏が賀す神の社」と訓読みすることが出来、鎮座地の「佐倉 」という地名も「麻の倉」が転じてと言われており、佐倉地方が古代物流の中心的地位を占めていたことが伺える。
徳川時代になり、土井利勝公が佐倉城を築き、城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神としても代々の城主・家臣に篤く崇敬され、社殿の度々の造営・神号額・神鏡・絵馬等の奉納が続いた。
現在の社殿は天保14年、藩主堀田正睦公が新たに建て替えたもの。
平成15年に氏子一同の奉賛により大修営が行われ、厳かに正遷座祭が斎行された。
「ご祭神の稚産霊命 お名の「稚」は若い、「産霊」は形成するの意で、若いものを育てあげるという御神徳を表しておられ、人・作物・事業等の生成、発展をお加護くださる神さまで、お稲荷さまの御親神にあたられます。
麻賀多神社という社名は、今から1050年ほど前の政令というべき「延喜式」の下総の項に、この社名がすでに記載されております。
佐倉の総鎮守、産土さまで遠い昔から「まかたさま」とこの地方の人々にしたしまれ崇敬されてきたお社です。徳川時代は佐倉城の大手門近くに位置する神社なので歴代の城主、家臣も城地鎮護の神としてあがめました。現在の御社殿は天保14年藩主堀田正睦公が再建、境内全面の石垣は明治初年に最後の藩主同正倫公が奉納されたものです。
御神幸に使用される大神輿(台輪巾151センチ、市指定文化財)は享保6年、当時の藩主稲葉正知公の家臣と町方が協力し金子300両の経費をかけ製作されたもので、今日数少ない江戸神輿の代表的な存在です。」境内略記より
常設展示室では、原始時代から現代までの民俗歴史がわかる数々の所蔵品の展示が見られ、ボランティアの解説者の方のお話も聞ける。
開館時間/3月~9月 9:30~17:00、10月~2月 9:30~16:30
休館日/月曜、年末年始
入館料/一般 420円、高校・大学生 250円、小学・中学生 無料
隣接する『くらしの植物苑』は、生活文化を支えてきた植物を系統的に植栽し、その理解をより深めることができるように、観察会なども行われている。
入苑料/100円
まるで屏風絵のよう…
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裏手の林の高い木の上から、風邪ひいたカラスみたいな鳴き声が…
声の主を探したら…
アオサギ?!
また、天守閣跡の樹齢約400年の「夫婦モッコク」(千葉県指定天然記念物)をはじめ、シイ、カシ、モミジなどの大木がいたる所にある。
昔、乳母が若君を池のほとりで遊ばせていた際、あやまって若君を溺れさせてしまったという哀しい話が伝わる「姥が池」、三逕亭(茶室)、桜や牡丹、梅、菖蒲園、紅葉などもあり、広々とした空間と木々が折り重なる空間とがあり、いつ訪れても気持ちのいぃ場所。
《日本百名城 佐倉城の歴史》
「佐倉城は、戦国時代中頃の天文年間(1532〜1552)に鹿島幹胤が築いたといわれる中世城郭を原型として、江戸時代初期の慶長15年(1610)に佐倉に封じられた土井利勝(1573〜1644)によって翌慶長16年(1611)から元和3年(1617)頃までの間に築城された平山城です。
徳川家康により、江戸の東を守る要として重要視されました。
北に印旛沼、西と南に川が流れる低地に西向きに突き出した『馬の背』と呼ばれる台地の先端に位置しています。佐倉城は、こうした地勢を巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と町屋、仏閣を配して城下町の守りを固めました。
歴代佐倉城主(佐倉藩主)のうち9人が老中となっています。これは全国最多で『老中の城』と呼ばれています。なかでも幕末期の城主堀田正睦(1810〜1864)は、財政難に苦しむ佐倉藩の改革に成功するとともに日本を開国に導いた開明的な老中として有名です。
明治維新後より終戦までは陸軍歩兵第2連隊、後歩兵第57連隊(通称 佐倉連隊)が置かれました。」案内板より
《姥が池》
「この池は江戸時代、かきつばたの名所でした。春先には近在のひき蛙が数千匹あつまり、左右にわかれて昼夜7日間、蛙合戦を行っていたと、『古今佐倉真佐子』(江戸時代中頃の書物)に記されています。
後に(天保年間)この池のまわりで家老の娘をおもりしていた姥があやまって娘を池に落としてしまい娘はそのまま沈んでしまいました。姥は困り果て身を投げたと伝えられ、以来『姥が池』といわれるようになりました。」池畔の案内板より
《円勝寺跡・愛宕神社跡》
「円勝寺は城内にあった真言宗の寺院でしたが、明治の廃仏毀釈で消滅しました。奥には愛宕神社があり、田町の氏神でもありましたが、連隊建設後は立入りが禁止されたため、移転しました。」案内板より
ソノ“清祥庵”の支店が、佐倉に出来ていたなんてっ!(2016年3月オープン)
というわけで、さくっと軽くランチに寄ってみた!!
ポルチーノにうっとり…
次はガッツリ、肉食べにこよぉ〜っと。
…「〜神明」という幟が見えて…
近づいてみると、どうやら御食事処らしぃ。
さりげなく中を覗いてみると、やわらかい間接照明でなんかいぃ感じ。甘味もあるらしぃ。
…ということで、さっそくお散歩の休憩として寄ってみた!
優しい味わいと落ち着く空間、お着物が様になってる店主さんのゆったりとしたお話しで、心身共に癒やされた。
目玉料理と思われる“禅マクロビ御膳「一汁五菜精進懐石」”は予約が必要ということで名刺をいただいたので、次回は気合入れてお食事目的で訪れよぉ〜
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