出世稲荷神社[春日稲荷神社]
白山通りを挟んで、アトラクションズ(東京ドームシティ)の東側、路地50mほど入った一角…公園(春日園児童遊園)の中に…というか、境内に公園がある…というべきか…
遊園地の歓声(悲鳴…)がちょっと遠めに聞こえつつも、ここは静か。
背の高いマンションなんかに囲まれてるけど、樹々もあって、明るく清々しい。
出世にはとんと興味はないのだけど、“春日局”さんは賢く優しくかっこいぃ女性ってイメージで、ちょいと興味がある。
ここから西北へ500mほど、春日通りに面した礫川公園の入口脇に、春日局の像が立ってる…ちらりと見ただけなのだけど…改めて会いにいってこよっと。(2016.3撮影)
遊園地の歓声(悲鳴…)がちょっと遠めに聞こえつつも、ここは静か。
背の高いマンションなんかに囲まれてるけど、樹々もあって、明るく清々しい。
出世にはとんと興味はないのだけど、“春日局”さんは賢く優しくかっこいぃ女性ってイメージで、ちょいと興味がある。
ここから西北へ500mほど、春日通りに面した礫川公園の入口脇に、春日局の像が立ってる…ちらりと見ただけなのだけど…改めて会いにいってこよっと。(2016.3撮影)
《御祭神》
宇迦御魂命
《祭礼》
5月5日
【由緒】
「『この辺昔 春日局宅地なりし時 鎮守のため勧請なり 春日局 出世ありしゆえ当社の神徳を崇め 出世稲荷と崇め奉るなり』『旧事茗話』
春日局は本名『ふく』父は明智光秀の重臣斉藤内蔵助利三である 戦いに敗れ 逆賊の家族として苦しい生活をした 後 徳川三代将軍家光の乳母となり 江戸城大奥にて大きな力をもつに至った
このあたりの片側を将軍から拝領し町屋をつくった『御府内備考』によれば神社の土地は拝領地28坪 外に27坪 小栗猶之丞より借地とある 享保2年焼失したので京都稲荷山の千年杉で御神体を作り祭った
春日町起源のゆかりのある場所である
文京区教育委員会 昭和60年3月」境内案内版より
《旧春日町(一、二、三丁目)》
昭和40年までの町名
「むかしは野原であったのを、寛永7年(1630)3代将軍家光の乳母春日局が、幕府に願い拝領し、局のお付きの御下男30人の住まいとした。『御府内備考』
春日局とのゆかりで、古くは春日殿町と呼ばれ、のちに春日町となった。
この地を拝領した寛永7年は、春日局52歳、江戸城大奥の総取締りとして威勢並ぶ者がなかった。
拝領地になったとき、その鎮守のために稲荷社が祭られた。春日局の出世にあやかり『出世稲荷』と呼ばれ、現在も町の人にあがめられている。
出世稲荷─現・本郷一丁目33番17号」案内板より
本郷1-33-17 » Google MAP
《周辺のオススメスポット》
【本郷弓町の楠】
春日通りの真砂坂上交差点から南へ100mほど下った道沿いにすっくと立っている。推定樹齢600年。幹周り約8.5m、樹高約20m。文京区保護樹木(S.54.10.1 指定)。司馬遼太郎氏の『本郷界隈―街道をゆく〈37〉』の中で、「一樹で森を思わせる」と記していた巨木。
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