櫻木神社
参道に、何やら小屋が…覗くと、1羽の白いほわほわと美しい烏骨鶏さん…名前は“ウッコ”。
小屋の張り紙には「ハクビシンに襲われ、ケイは落命しました…」と。以前は相棒がいたんだね…
さて…
櫻木神社は、学問の神様・菅原道真公をお祀りしていて(天神さま)、なんでも“ドラゴン桜(20巻)”で合格祈祷で登場しているらしぃ。
道真公といえば“梅”…それなのに櫻木?「桜咲く」で櫻木?(さすがに、それはないだろ…)
由緒が書かれた石碑で納得…『櫻の馬場』に建立されたものだから…とのこと。でも、天神さまに願うは“桜咲く”なのだから、ダブルでいぃ感じ…かも?
素木に千社札が江戸ちっくでいぃ感じ。
隣接の社務所は、廊下が庭に面した日本家屋なちょっと懐かしい雰囲気。
境内社は、本殿に背を向けて建つ小さなお稲荷さん…見送稲荷神社。
ここから東へ100mほど、西南角には古川柳『本郷もかねやすまでは江戸のうち』の“かねやす”がある(現在も、そこは「かねやすビル」で、1階は“かねやす小間物店”)本郷通りと春日通りの交差点。
そこから本郷通りを北へ50mほどが『見送り坂』、その先が『見返り坂』と呼ばれていて、なんでもむかしそこが太田道灌の領地の境目にあたっていて、ここで追放者が放たれたからだとか…(書籍『ぶんきょうの坂道(文京ふるさと歴史館発行)』より)
見送った人の無事を祈ったりしたのかな?(2016.2撮影)
小屋の張り紙には「ハクビシンに襲われ、ケイは落命しました…」と。以前は相棒がいたんだね…
さて…
櫻木神社は、学問の神様・菅原道真公をお祀りしていて(天神さま)、なんでも“ドラゴン桜(20巻)”で合格祈祷で登場しているらしぃ。
道真公といえば“梅”…それなのに櫻木?「桜咲く」で櫻木?(さすがに、それはないだろ…)
由緒が書かれた石碑で納得…『櫻の馬場』に建立されたものだから…とのこと。でも、天神さまに願うは“桜咲く”なのだから、ダブルでいぃ感じ…かも?
素木に千社札が江戸ちっくでいぃ感じ。
隣接の社務所は、廊下が庭に面した日本家屋なちょっと懐かしい雰囲気。
境内社は、本殿に背を向けて建つ小さなお稲荷さん…見送稲荷神社。
ここから東へ100mほど、西南角には古川柳『本郷もかねやすまでは江戸のうち』の“かねやす”がある(現在も、そこは「かねやすビル」で、1階は“かねやす小間物店”)本郷通りと春日通りの交差点。
そこから本郷通りを北へ50mほどが『見送り坂』、その先が『見返り坂』と呼ばれていて、なんでもむかしそこが太田道灌の領地の境目にあたっていて、ここで追放者が放たれたからだとか…(書籍『ぶんきょうの坂道(文京ふるさと歴史館発行)』より)
見送った人の無事を祈ったりしたのかな?(2016.2撮影)
《御祭神》
菅原道真公
《祭礼》
9月第4土日
【由緒】
「櫻木神社は約五百年前、後土御門天皇の御字文明年間に太田道灌が江戸築城の際菅原道真公の神霊を京都北野の祠より、同城内に勧請せられたものを其後湯島高台よる旧櫻の馬場の地に神祠を建立してその近隣の産土神として仰がしめ櫻木神社と名付けられたといはれる。其後元禄三年徳川綱吉が同所に御学問所昌平黌を設立するに当り更に現在の地に 遷座即ち今を去る実に二百七十五年前の事である。
旧社殿は東山天皇の御宇の創建であるが六十四年を経た桃園天皇の宝暦三年に改築爾来連綿実に百九十一年昭和の大東亜戦争により烏有に帰し仮社殿であったが 氏子相計り昭和三十四年九月新築落慶して今日に至ったものである。
然る所 神社の周囲の玉垣老朽化甚しく神徳を損ふことを憂い本年之を再建せんとし幸い氏子有志の協力により、これが完成を見たのである。
昭和四十年三月吉日 櫻木神社氏子中」境内由緒略記石碑より
「『新撰東京名所図会』には、“前面に華崗石の鳥居建つ。明治三十二年氏子の設くる所にして、石工は酒井八右衛門なり。”と明治になってからの境内の整備について書かれています。」 冊子『絵でみる明治のぶんきょう─「新撰東京名所図会」を楽しむ─』(文京ふるさと歴史館 編集)より
境内末社:見送稲荷神社
本郷4-3-1 » Google MAP
[オフィシャルサイト » http://www5c.biglobe.ne.jp/~sakuragi/]
《周辺のオススメスポット》
【文京ふるさと歴史館】
文京区の歴史、文化財の紹介やガイドする博物館。開館時間…10:00~17:00
休館日…月曜、第4火曜
入館料…100円
» オフィシャルサイト
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“本郷”は、両親が出会って一緒に沢山の時間を過した…そして今、二人が一緒に眠ってて…子供の頃のいろんな思い出あって、今毎日乗り換えでここを通って…
とてもとても愛しい町なのです。
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