寺田稲荷神社
流鉄流山線・平和台駅から川へ向かって西へ…大通り・流山街道と川沿いの本町通りの間、北側は「万上通り」、南側は「天晴通り」。これは、この地で醸造が成功した“白みりん”、そのときの2大ブランド名にちなんでるらしぃ。
寺田稲荷のある「天晴通り」側は、閑静な住宅地な感じなのだけど、少し歩くと、一茶双樹記念館(「天晴みりん」の生みの親・五代目秋元三左衛門は、“双樹”と号して俳句をたしなんでいて、小林一茶とも親交があったそうな)・杜のアトリエ黎明、新撰組隊士らが分宿したといわれている長流寺や光明院・流山寺、地名発祥伝説の地といわれる赤城山・赤城神社など、みどころも多い。
そんな中で、この寺田稲荷は、道に沿ってほんとにひっそり鎮座。大火を自身を犠牲に食い止めたという伝承がちょっと切ない。(2014.8撮影)
寺田稲荷のある「天晴通り」側は、閑静な住宅地な感じなのだけど、少し歩くと、一茶双樹記念館(「天晴みりん」の生みの親・五代目秋元三左衛門は、“双樹”と号して俳句をたしなんでいて、小林一茶とも親交があったそうな)・杜のアトリエ黎明、新撰組隊士らが分宿したといわれている長流寺や光明院・流山寺、地名発祥伝説の地といわれる赤城山・赤城神社など、みどころも多い。
そんな中で、この寺田稲荷は、道に沿ってほんとにひっそり鎮座。大火を自身を犠牲に食い止めたという伝承がちょっと切ない。(2014.8撮影)
《御祭神》
宇迦之御魂神
【由緒】
天明7年(1787年)創建(「流山100か所めぐり/流山市」より)
「江戸時代創建の稲荷神社。稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神。明治8年(1875)の大火災がここで止められたともいう。同10年(1877)、地元の有志によって再建された。」境内案内板より
流山市6丁目548地先 » Google MAP
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