山下神明社
土方歳三資料館から日野宿本陣跡、そこから新撰組ふるさと歴史館へむかう途中…日野緑地の一角に鎮座。
小さな小さなお社だけど、覆屋で囲まれ大切にされている様子。そういえば、ここらの住所って“神明”だし…
境内の木陰で涼ませていただきつつ、一休み。
ソノ土地の神様にお参りできてよかったわ…(2017.4撮影)
「伝説によれば谷伊予の先祖は源平の合戦壇の浦の戦に敗れ西国より京都を経て関東に至る其の時民は日野村山志田は原野にて農耕にはご苦労されたと言伝えあり、現在の日野市大字日野小字山下に住んだのが元亀元年(1570)の頃と伝えられる。
当時谷伊予之守は此の地に伊勢神宮を勧請し本殿を造営し祭ったのが神明社の始まりと伝えれれる、又長禄元年(1457)谷貞右衛門は庄屋であったが飢饉に直面し財産面に非常に苦しい時代であったと言う盛衰変遷を経て神明社の本殿拝殿の改修を行った。当時の氏子数拾名と伝えるが定かではない、尚数年後明治23年9月末頃台風と雨水のため山崩れがあきて拝殿は毀されその侭永い間拝殿は無ったので小池健四郎、小池武助両名が拝殿を造る話合その結果造る事を決定した現在の拝殿は昭和22年農閑期に御神木を切る事を許可願し、扱った方は土淵宮祠でした許諾を受その御神木を料として拝殿の新造を完成した。御神木の切口は75センチもあり約四百年の歳月の年輪であった又大東亜戦争終戦直後の激動の時代小池両名が頭となり八名の氏子が大工となり地元の協力と努力に依って立派な拝殿が出来上った此の時御神木で大きな鳥居を立て立派な物と敬愛された。昔から神明社を参拝された方には恵まれる子宝は良い子の伝えがあり敬愛されて来たと言伝えられる。
現在も氏子として祭礼日仲の九日敬い毎年9月19日は神明社の祭りを行っている。
一、神明社境内地 3,069番地 約888平方メートル
一、神明社山林 3,067番地 約442平方メートル 計1323平方メートル
一、本殿木造流屋造 間六尺 奥行九尺
一、拝殿木造切妻屋造 間口二間 奥行三間
現在氏子八名が経持管理に当っている。地番は昭和57年7月1日で日野市神明4丁目11番地1号に変更になった。
昭和62年9月吉日
氏子総氏 小池秀夫 役員 谷忠治・小池寿夫・金子敏夫・谷政幸
氏子 温井忠雄・温井三郎・小池清
作成年月日 昭和62年7月吉日 谷忠治」境内“神明社記念誌”より
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